歩を緩めるとき、きっと手を取り合える—映画『機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-』視聴体験記—

「機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-」を観て、大号泣した。ガンダムのことはよく知らない。水星の魔女を最終回間際まで見ておいといているのと、岡田磨理が脚本ということで鉄血のオルフェンズを流し見した。「ガンダム」シリーズというものにそんなにロマンはなく、だからこそ、すべてのシリーズで「ガンダム」という特別なロボットとそれを操縦できる特別な人というものは同じだが、ざっくり上記の作品を観た感想は、「その要素がどう作用しているのかわからない」というものだった。それぞれの面白さは置いておいて、なんか、ガンダムであるから何が良かったのかがよくわからない、という感じ。

ガンダム無印(この言い方でいいのかわからない)についての知識はもっとない。ケロロ軍曹のアニメを観ていたからガンプラというのがあるのは知っているというくらい。あと、友達が「ガンダムのラストでアムロは謙遜ができるようになる」ということを言っていてそれは印象的だった。

そんな人間がジークアクスを観た。以下の文は感想ではない。感想というより、ジークアクスを観て、私は勝手に「こうなるんじゃないか⁉」「こういう話なんじゃないか⁉」と感じて、その像を観て勝手に号泣したのである。なので感想というよりは体験記なので、そのようなタイトルにした。

高い能力をもつシャアは、科学?的にも「ニュータイプ(勘が良い人?)」という突出した人間であることが明らかになった。
そんな彼はシャリアブルに目をつける。シャリアブルは弱ニュータイプ(ちょっと勘が良い人?)である。すくなくともシャアと同程度ではなさそう(ニュータイプに強弱があるのかわからんが)。
シャアはシャリアブルとともに独立戦争の作戦を遂行する。けれど、その作戦の最後、シャアは「時(とかいう虹色のきれいなもの)」をみていなくなってしまう。
突出した人間は、常人には見えないものを追いかけてどこかへ行ってしまったのだ。

そして時は流れる。シャリアブルはシャアを追い続ける。しかし何となくの勘は生きているものの、彼はガンダムを操縦することはできない。彼は弱ニュータイプだからだ。

そして物語にはもう一人のニュータイプとしてマチュが登場する。多分青いカヲル君みたいなのもニュータイプなんだと思う。観た感じかれらの能力は同程度くらいだと思う。少なくとも両者ともガンダムを操縦できる。

戦場でのマチュの孤独を青いカヲル君が解決する。彼らは同じきらきらをみて、ガンダムを操縦できるもの同士なので、思うとおりにいろいろを動かすし、いろいろなものが見える。

シャリアブルはガンダムを操縦できない。ニュータイプかもしれないが弱い。彼はシャアと同じ景色を見ることはできない。そんな彼ではシャアの孤独を解決できないのか?手を取り合うことはできないのか?

そうではない。なにかのボタンの掛け違いで、何かがかみ合って、きっと、あるとき、シャアがその歩みを進める速度を緩めるときが来るのだ(米津の曲の歌詞もそんなだった気がするし)。

そのとき、きっとシャリアブルは

赤い彗星に追いつくのだ………。

という”時(虹色のきらきら)”をみておれは映画館で大号泣していました。これ、ガンダム無印でシャアが友達いっぱいいたら終わりの話なので、もしそうだとしても私に教えないでください。でも偏見だけどシャアって孤独そう。

その時きっとシャアは思うのよ、「歩を緩めるのもわるくない」ってさ……。

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