好きなキャラの話をしていいか?

ツイッターのタグで好きな男性を言うというものがあり、気軽にやろうと思ったらどんどん 気持ちの悪いツイートになっていったのでここで話すことにする。

好きなキャラクターを上げていくと、以下のようになる。

  • ジェイド・カーティス【テイルズオブジアビス】
  • 黄山紅牡丹(ファンシャン・ホンムータン)【紅茶王子】
  • 山本【オッドタクシー】
  • トレイ・クローバー【ツイステ】

往々にして自身が使うべき口調を心得ていて、わざとそれを使っているようなキャラクターが好きだ。 ジェイドも紅牡丹は昔馴染みや部下以外にはすべて敬語であるし、山本もよく敬語を使う。 トレイクローバーは敬語キャラではないが、「人当たりのいい口調」をわざと使っているような堅苦しさを感じていて好きだ。

全員「キャラ付け」という膜を一枚被っており、自身の感情の発露を避けている。 周りに「本当は何を考えているのか分からない」と思われてそうでいい。 本人は「本当は何を考えているのかなんてどうでもいいだろう」と考えているともっといいと思う。

素直に自身の感情を発露する人間は人懐っこかったり、人との交流に積極的であるから社交的であるとされることが多い。 一方、本心を明かさない人間は「本当に仲良くなる」ことができず、社交的、とはまた別のところに置かれる。 多くの物語で、本心を語らないという習性は改善すべきものとされ、物語終盤で感情を発露する流れになることは多い。

私は上記のようなキャラクターが感情を発露することでしか得られない栄養も大好きなので、 このような展開を唾棄すべきものだとは思っていない。そのうえでもなお、本心を語らない人間が 本心を語らないことで得られる栄養について話したいと思う。

感情発露に話を持って行くためによく使われるのは、「自分が傷つくのが怖いから本心を話さないのだ」 という論法である。それももちろんあるが、本心を話すことで傷つける人間がおり、 それによって相手が自分に対する態度を変える可能性の方が高い。態度を変えられた結果で懸念されるのは 「傷つく」ことではなく、「自身の快適な社会生活が阻害される」ということが多分にあるように感じる。 そこまで含めて考えて、自身の優先順位が「本心を伝えること」よりも「快適な社会生活を持続させること」 が高いから本心を伝えないという選択肢をとりそう、ということを、上記のキャラクターの内では特に ジェイド・カーティスやトレイ・クローバーに感じている。

本心を伝えないことはしばしば、周りに自身を都合よく解釈され、搾取されることと表裏一体である。 そのような場合は優先順位が入れ替わる。というよりも、本心を伝えないことで社会生活が阻害されているため、 本心を伝えること社会生活を快適にすることが繋がり、感情の発露という展開へつながる。

ジェイドとトレイの好きなところは、この優先順位を意地でも保とうと尽力しているところである。 少なくとも私にはそう見える。自身は腹黒い人間であると、相手を傷つけ、利用する人間であると最初に表明する。 ジェイドは言葉の端々に皮肉をにじませ、トレイは素直な後輩たちを利用しめんどくさい作業を押し付ける。 しかし基本的に人当たりはよく、冗談を言うことで「癖のある人間だが、関わりたくないほどではない」と認知させる。 その用意周到さがとても好きだ。自身の立ち位置を理解し、その場で自分にとっての都合のよさと現状の問題解決と の最大公約数をとって発言する。それは時折、「素直に感情を発露する」ということよりも、社交的、 すなわち社会で生きることに自覚的なのではないかと思う。

山本と紅牡丹は、基本的には優先順位を崩さずいたいが、ふとしたことで容易に搾取され得るような危うさがある。 このことを考えると、優先順位を崩さないでいられること、というよりも、そのような優先順位を持っているように 見える人間が好きなのかもしれない。素直なれる/なれないではなく、感情に素直になるのか、快適さに素直になる のかという側面で、両方を意識したうえで後者を選ぶ、選びたいと思っている人間というか。

口調はそういったものの姿勢を示す重要な要素であると思う。常体を選ぶのか、敬体を選ぶのか。 「~だろ」のような粗雑な物言いをするのか。「~じゃない?」のような軟らかい言い方をするのか。 常体部門では後者が好きだ。こちらも一枚膜を張っているような感じがある。free!の渚くんや 凪のあすからの伊佐木要くん、ツイステのケイトくんなどがそうだ。強く見せる方面の膜よりも、 弱く見せて油断させておこう、みたいな膜が好きかもしれない。そのような、人間関係の有利不利の バランスに目を配っているような振る舞いに、何とも言えない魅力を感じる。

最近は、トレイ・クローバーが腹が立つ瞬間のことを考えている。 例えば、「マジでフツーの男だな」とレオナ先輩に言われた瞬間とか。

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黒歴史を作る

お笑いコンビ「マユリカ」の「うなげろりん!!」というポッドキャストを聴き始めた。ある回で、ツッコミの中谷さんが十代くらいにやっていた個人サイトが掘り返されるという回があった。aboutからBBSから、個人サイト自体特有のノリが今再び衆目にさらされていた。中谷さんは恥ずかしそうでもあったが、楽しそうでもあった。あとから検索してみたら中谷さんの絵がうますぎてビビった。

小5からamebaでブログをやっていた人間であるから、あのノリはすごくよくわかるものであったし、思い返すとイタイものではあるかもしれないけど、「楽しかった」という感情がサイトの中に残っているのはいいことだと思った。

amebaブログもFC2ブログもはてなブログも消してしまったので、掘り返すべき黒歴史がないことがなんとなくさみしくなったところで、 8年前に作ったらしいこのサイトの存在を思い出した。過去絵が結構残っててびっくりした。 ボカロ曲の挿絵を3枚描いていたのだな…ということも思い出した。どれも大好きな曲だ。 当時はニコニコ動画のサムネになることが絵描きとして一番の誉れだと思っていた。 今だったらたぶんyoutubeのサムネを描きたがっていたと思う。イラストレーターになりたいとは思っていなかったが、 ボカロ曲のサムネをいっぱい描いているインターネットお絵かきマンにはなりたかった。依頼をもらっているというのがかなり羨ましかった。

2016年以降しばらく絵を描かなかった。というか、2016年ぐらいにはもう消耗気味だった。 最近また絵を描くようになったのだが、ツイッターで「絵を描く」ということの情勢がかなり変わっていた。 「絵があると嬉しい」のではなく、「どの絵を選ぼうか」という姿勢に、見る側も描く側も変わっていた。 空中リプライという使い方が発生し、RT後コメントが生まれ、ふぁぼの☆はいいねの♡に変わり、非公式RTは引用RTになった。 広まることが目的の候補に追加され、中でもRTは重要視されている。既読ふぁぼもないと不安になるようになってしまった。

それに対する感情は特にない。私は流されやすいので、需要のある絵を描きたいと思う。 バズったことは一度もないが、バズりたいという感情はある。この「バズる」ということばも、RADIOFISHの「PERFECT HUMAN」 が流行った時に使われるようになったはずだ。おなじツイッターというサービスなのに、なんだかすごく変わっていて不思議だ。 ピクシブで初出の作品を出す人もかなり減ったのではないかと思う。ついぴくろぐという言葉も生まれ始めたところを見ていた。

こういう、どこにも需要がない話を延々としていきたいと思う。文章を打つのがすごく苦手だから、拙いところが多い。 こういう部分も含めて黒歴史である。2024年にサイト十周年を迎えるので、それまでは少なくとも続けたい。

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