揚げ物と音楽としつこくノートの話、よいお年を!

「よいお年を」ということを言いかけるたびに、「実は意味が分かってないな…」と思い始めて使わない、という時期がやってきた。私はしばらく「お年」を「一年」のことだと思っており、年末だけに使うなんて変なの、と思っていた。

あれには続きがあって、「よいお年をお迎えください。」というものらしい。「お年」というのは「新年」という意味で、要するに年越し~元日が楽しくあれ、ということか…という認識にさっきググってようやっとなった。

よいお年を迎える前に、一記事にするほど気合を入れて書くほどのことでもないことを詰め込んで2022年最後の記事にしようと思う。


揚げ物の話を以前したが、またおいしい揚げ物が見つかったので共有する。

セブンの「皮付きポテト(ガーリック&ペッパー味)」と、「ななチキレッド」がおいしい。10年前くらいのセブンの皮つきポテトは大きすぎて芯が残っていたりしていた印象があるが、ほくほくで味もしっかりついており、かといってガーリックが強すぎるということもない。ほっくり食べられるフライドポテトである。

「ななチキレッド」もおいしい。ほぼ旨辛揚げ鳥の味である。プレーンのななチキは私はあまり好みではないのだが、ななチキレッドは味がしっかりついていておいしい。

また、バーガーキングのポテトとハンバーガーがおいしい。渋谷に行くといつも混んでいる店ということで私の中で有名なバーガーキングだが、こないだついに行くことができた。

まずバーガーの野菜が甘くてみずみずしい。野菜の味がしっかりするバーガーを久しく食べていなかったので、びっくりした。まさかハンバーガーを食べてトマトの甘みを感じることができるとは…。少しだけ入っているケチャップも絶妙な酸味だった。

そしてポテト!マックのフライドポテトよりは太くケンタッキーのフライドポテトよりはやや細いくらいである。サクサク食べられるポテトの最大の太さだといえよう。そして、その太さで出せる最大のほくほく感が実現されている。

ポテトといえば細くカリカリしたものにはほくほく感を期待せずむしゃむしゃ食べ、太くほくほくしたものはもそもそゆっくり食べる形になる、と考えていたのだが、バーガーキングのフライドポテトはサクサクどんどん食べられつつ、ほくほく感も味わえる優れものである。

バーガーキングのいいところはそこだけではない。クアアイナなどで出されるような牛肉がしっかりバーガーはたいてい大きく、セットで頼んだら1,000円を超えてしまうことが多いのだが、バーガーキングはバーガーのジュニアサイズというものが用意されている。ジュニアサイズのセットは650円以下で、かなりお手頃である。クアアイナのハンバーガーをもう少し小さくしてちょっと安くしてくれ…という私の欲望を的確に満たしてくれている。ありがとうありがとう…。クアアイナと同じくらい牛肉味がしっかり出されているので、ジュニアサイズでも満足感は十分である。これが、バーガーキング…。

来年も引き続きおいしいジャンクフードを食べていきたい。おすすめのものがあったら教えていただきたい。


音楽サブスクとしてSpotifyを使用している。Spotifyは年末にどんな曲をどんな頻度で聞いたかなどの「まとめ」を作成してくれる。私の一年は以下のようなものであったようだ。

Spotifyの総再生時間

近年音楽サービスだけではなくポッドキャストサービスも充実してきており、たいていradikoかSpotifyを再生していた五年だった。

一番聴いた曲

特にティグランハマシアンの「an ancient observer」を聴いていた。スリープタイマー機能を使って、夜寝る前にかけていた時期もあった。

よく聴いていた曲

そのことがよくわかる結果になっている。

よく聴いたアーティスト

面白かったのは、ティグランハマシアンのリスナーの上位0.5%に入っているということである。多分、ティグランハマシアンのファンはサブスクではなくCDやレコードなどで彼の曲を聴くのだろう。

よく聴いたアーティスト

今年新発見したアーティストといえばティグランハマシアンと七尾旅人だろう。七尾旅人は最新アルバム「long voyage」の「停泊」が特に気に入っている。面白い曲が多くていい。


ノートの話しすぎだろ、と思うがまたノートの話をする。

以前言及したなんでもノートにやるべきことやりたいこと創作の予定などもすべて記入していたのだが、少しだけ今は分割している。

美篶堂ペーパーバックノート

二次創作のアイデアメモと趣味の本を読んだ時のメモ用ノートに美篶堂のノートを買ってみた。万年筆でも裏写りがなく、ブルーイッシュな白なのでインクの発色が鋭く出る。

いろは出版 スタディープランナー

やることリストを書くのをこのノートに任せることにした。夜に次の日やりたいことを書くのはMDノートで、朝このノートを開いて清書し、タスク消化をしていく日々を送っている。難点とすれば綴じ部分を考慮したマージンが用意されていないため、ノド付近は書きこみにくい。リングノートタイプのほうがいいのかもしれないが、リングノートに苦手意識があるのでひとまずこれを使っていく。

神戸派計画のもろもろとkakuno

また、ノートを調べていくうちに気になっていた神戸派計画のもろもろを買ってみた。ノートは2,000円~3,000円ととても気軽な値段ではないのだが、好奇心に負けてしまった…。まあ、クリスマスプレゼントなので…。

買ったのはグラフィーロスクエア・グラフィーロ style 横罫・CIROである。まだほとんど使えてないので感想は後で。あと上述のスタディープランナーの記入欄が少し小さいので極細のkakunoも購入してみた。こちらの使い心地はそこそこいい。

来年もノート文房具ライフを楽しんでいきたい。明日EDiTの手帳をおろすのが楽しみだ…!付箋やシール、ハンコなども効果的に使っていけたら楽しいかもしれない。


サイトを始めた時はどのような人が来るのか、そもそも人が来るのか、寂しくなってしまうのか、管理が続くのか…などなどすべてが未知数だったが、来てくださる方がそこそこいらっしゃり、本当に感動しています。

わたしも少なくとも今年は創作をし続けていたおかげで更新が長期間止まることもなく、楽しく過ごすことができています。本当にありがとうございます。

来年はさらにサイトに重点を置いて、人とつながるインターネット以外に自分の場所を持てれば楽しいかな、と思っています。寝言とかも積極的に使っていきたいです。


洞軒もたまに人が来てくれているおかげで、今年は畳まなくて済みそうです。たまに来てつぶやいてみてください。


さて、では、年末お手紙リクエスト企画、本日が締め切りになります。もしなにか年の瀬に私に声を掛けてくださる場合は、よろしくお願いいたします。


ではみなさま、よいお年をお迎えください。

8

2023年やりたいことリスト100とその他お知らせ

 

2023年やりたいことリスト100

本業部分は一応隠しています。

人生で初めて、やりたいことリスト100というものを作ってみた。というのも、最近手帳やノートにはまっていて、その情報収集をしていると、「やりたいことリスト100」を作る、というのが手帳を使っている人たちのこの時期の関心ごとのようだったからだ。

to doリストを作ってそれを淡々とこなしていく生活は既に日々で行っているため、割と性に合うかもしれない、ということで作ってみた。自分の今関心を持っていることが可視化されていくのは面白い。見たり読んだり体験したりということに力を入れていきたいようだ。また一方で、そろそろ自分の行く先を考えていかなければならぬので、いつかやってみたかったことをやっていく年にしたい。具体的には漫画や小説をちゃんと製作するとか…。締め切りがなければやらないタイプだとわかったので、とりあえず2023/5/27のみちのくコミティアまでに一作ずつ制作できたらいいなと思っている。

重要なのは、そこで成果を上げることではなく、制作し終わった後、応募出来た後に「自分がどういう感情になるのか」を確かめることだと思っている。このままこれをやっていきたいと思うのか、一つ作って満足するのか、それを確かめていきたいと考えている。

 

2023年の活動予定

TOAwebオンリー「ひだまりの旋律」

2023年4月9日開催。参加確定(申し込み済)

テイルズオブジアビスに再燃したので参加してきます。ED後の二次創作を展示する形を予定しています。

みちのくCOMITIA10~創作旅行~

2023年5月27日開催。

既刊として嘘日記、新刊として小説1本と漫画1本を合わせた雑誌みたいなものを持っていけたらいいなと考えています。

Booknook vol.2

2023年5月28日開催。

みちのくコミティアで頒布するものと大体同じかな?PDF頒布なども考えています。

 

【新企画】月1ネットプリントフリーペーパー

月1でA4モノクロ1枚のフリーペーパーをネットプリント登録する形で配布しようかなと思っています。いい感じに毎月出来たらみちのくコミティアで出す雑誌にそのログも追加します。

内容は絵とか短歌とか、その時やりたいことを試す場所として使いたいなと考えています。

【お知らせ】年末お手紙リクエスト企画、あす12月31日で締切です

皆さんのお手紙お待ちしています。

年末のお手紙、お待ちしております!!!なんでも、一言でも、おきがるに~!

2

あの時そこにいなかった私の話

本記事は、新海誠「すずめの戸締り」を観た、私の鑑賞体験の話である。これは「私の」鑑賞体験の話であり、それは同じ作品を見ていたとしても、だれとも共有されないし、共有できないものである。本記事を読む、ということは、以上のことをご理解いただけたということとする。

物事を言語化すること

以前お題箱で、物事を言語化することについて、気を付けていることやコツなどがあるか、という質問をいただいた。 ツイートや日記を読んでいただいたうえで、なにか気にしてもらっていたらしい。ありがたい。

ツイートのリプツリーで当時返信をしたのだが、そのあと割とすぐにツイートを全削除してしまったので、つらつらとここに書いていこうと思う。

 

  物事を言語化することがうまい、と言われることはたまにある。「よくそんなに言葉が出てくるね」とか、「たとえが的確」だとか言葉をいただくことがある。 だが、これはなんというか、とにかくおしゃべりであるということが原因の中心にあるような気がする。打つ球が非常に多くて、あまりに些末なものが多いのであるが、そのうちヒットしたものだけ相手が憶えている、という感覚があり、それは実態に近いのではないかと思う。一球入魂タイプでないことは確かだ。バズったことは一度もないが、バズったツイートがその人の代表作・性格を表すツイートになる、というような…。

また、私は10年以上SNSをやっている。文字で打ったことだけがその人の持っている思想だと受け取られる世界に、ROM専期間を持たずに10年以上いたのだ。SNSではほとんど「言語化」を伴った営みでしか相手とコミュニケーションをとることができない。そこには会釈や目が合った時の笑顔は存在しない。最近は「いいね」が慕わしさを示すニュアンスを持ちつつあるが、実際に話した時に相手が返答はせずともうなずいてくれるという現象と等価であるとは言えない。SNS上でコミュニケーションするということを少なからず目的にしていれば、言語化という営みをせざるを得ない。そこに10年以上もいれば、試行回数の多さは言わずもがな、ということになる。

かといって、答えが「半年ROMれ」ならぬ「10年SNSやれ」ではあまりにそっけないので、言語化に関する自分語りを中心としながら気を付けていることを話すことにする。  

 

初めて「思ってることが伝わらない」と感じたのは、保育所にいたころだったと思う。いまだに適切な言葉が見つからないのだが、当時、明確な対象がないにもかかわらず恐怖を感じるときがあった。より一般的な言葉でいうなら、「胸騒ぎ」的なものなのだと思う。「漠然とした不安」というものでもよいかもしれない。しかし、当時の私にとって恐怖や不安はなにか対象があって起こるもので、ただただすわりが悪い感情になっていた。熱があるわけでも体の調子が悪いわけでもなく、泣くほどでもない。これをどのように周りに伝えたらいいのかわからなかった。

当時の私はひたすらに「気持ちが怖い」という言葉を使っていた。周りの大人たちは「何かが怖いの?」「不安ってこと?」「悲しいの?」と聞いてくれたが、そのどれも当てはまらず、両者ともに困惑する時間が流れていた。

ここで私が強く感じたのは、「不便」ということだ。意思疎通ができなければ自分の不調を相手に知らせることも難しい。そうすると、悲しいのか不安なのかわからないじりじりとした感情のまま、自分が喜ぶことを想定されて出された話題にこたえなければならなかったりする。自分の今のかたちを相手に伝えておかないと、相手の思うかたちに自分が合わせなくてはならなくなる。それはすごくエネルギーを使う。思っていることが伝わらないのは、すごく不便だ。

ここの肝は、伝えさえすればどうにかなる、と思っているところにある。周りの大人たちが自分の状態に合う言葉を探そうとしてくれたのも影響しているかもしれない。当時はしっくりいく言葉が見つからず、結果として「そんなこと言われてもわかんないよ」といわれてしまったが、他の点、例えばシンプルな体調不良を伝える場面などでは、大人は問題なく対応してくれた。だから、問題は伝えられなかったことで、伝わる形で出しさえすればよい方向へ向かうだろう、と今でも思っている節がある。

 

そこからかなり飛んでインターネット世界の話になる。使い始めはちょいちょい言い方について指摘をいただいたことがある。例えば、長時間かけて絵を完成させた人の「完成させました!!!やった~!」という投稿に対して、「お疲れ様です!」と返信したところ、今で言う空中リプライで「仕事じゃないから、お疲れ様です、よりはやりましたね~とかすごい!とかのほうがいいな」みたいな指摘をもらった。

当時の私は「お疲れ様です」が万能の言葉だと思っていて、とにかく何かをやり遂げた人にはそれを使っていた。要はあまり意味をよく考えて使っていなかったのである。その返信も条件反射的に打ったものだった。

不思議なもので、そういうずれはきちんと察知されるのだ、と思う。そのずれを察知しながらも、悪意はないということを知っていてくれたからこそ、そのような指摘を優しめに頂けたのだ。今となってはどこで何をしているかわからないamebaのフォロワーさん、本当にありがとう。

この辺から、返信はただもらってもうれしいものではなくて、内容に即したものである必要があると理解し始めた。「とりあえず」送っているものは「とりあえず」だと察知される。自分が相手の投稿をどんな風に読み取り、何を思って、何を伝えたくて返信をするのか、ということをきちんと考えたほうがいいのだろう、だってこれはコミュニケーションなんだから、と考えるようになった。

 

  類例としてTwitterに移ったのち、本の感想を「小説がうまい…」と表現し、その後「小説がうまくなるプロセスが具体的に想像できない、小説がうまいってすごい」みたいな感想をつぶやいたところ、RTされて「そうだろうか?」みたいな空中リプライをもらったり、「うまいかどうかより好きかどうかが問題では」という空中リプライをもらったことがあった。

「そんな話はしておらず、ただ文章の巧みさに感動し、おもしろかったし好きだ」という話なのだが、これは完全に私の言葉足らずで起こっている現象である。感想自体が問題なのではなく、なぜそう思ったのか、その後ろにどういう背景があるのか、ということを一切述べずにツイートしてしまっているため、「主語がでかい」という現象が起こってしまっている。完全に私一人の感想なのであるが、主語がでかいために周りの人間も自分が適用されている話だと思ってしまう。なるべく背景を述べ、主語を自分にして、小さい個人の話にすることが大切だということもだんだんわかってきた。

重要なのは、感情に正当性はない、ということである。そして、その感情に対して、他者が何か言う権利はもともとない。当時の私は「小説のことをうまいって言っちゃいけないんだ」と一度思いかけたが、それは問題の根源ではない。主語を大きくして他者にも適用される考えのように述べてしまったことが問題であり、小さい個人を主語にして個人の鑑賞体験の記述にすれば、周りも他者のものだとして受け取れるのである。  

 

こんなような経験から、しいて言うなら以下のことに気を付けている。

  • 根拠をとにかく述べる
  • 冗長になることを恐れない
  • 修正をいとわない

なぜそう感じたのか、なぜその言葉を選んだのか、根拠を明示することは重要だ。言葉の意味は明確に決定されていない。人によってニュアンスが異なる。では、誤解を生むことが多い言葉を避けていく、とすれば、使える言葉が限られてしまう。重要なのは、「自分はこういう意味で、こういうつもりでこの言葉を使っています」と相手に示すことである。絵を描き上げた人に「お疲れ様です」ということ自体は問題ではないのだ。問題なのは、私が、描き上げるまでのエネルギー消費に敬意を表したいのか、出来上がったことのうれしさに同調したいのか、ということである。ここで、自分の伝えたい感情と、使用する言葉に向き合うことになる。「何を伝えたくて」「どのような意味で」「どの言葉を使うのか」、この道筋ができていれば、誤解を生む幅が狭くなり、「物事の言語化」の達成に近くなるのではないかと思う。

そのようにすると、どうしても冗長になる。140字ぎりぎりか、少しはみ出してしまうかもしれない。しかし、Twitterには以前はなかったリプツリーというシステムがある。つなげれば長い話もできる。どんどんつなげていこう。短く収めた結果誤解を生んで言語化が怖くなるよりも、そっちのほうが全然いいと思うのだ。

そして、どんどん修正してしまおう。ツイートは削除できる。とりあえず長くつらつらつぶやいた後に、無駄をそぎをとしてツイートしなおすのもありだ。シンプルな一球入魂にはあこがれるが、私はとてもそれができたためしがない。

  とにかく言語化には考慮事項が多くエネルギーがいるかもしれない。私は「周りに発散したい」「相手に伝えたい」というおおよそ自分本位な感情がそれらのエネルギーを厭う感情よりも大きいのでこれを繰り返しているが、「そこまでして伝えたいことはない」という場合は、特にやる必要はないのだと思う。私はこれらの考慮事項その他をスキップして言語化ができているわけではなく、ただ、「相手に感情を伝えたい」という自分本位な思いがそれらよりもすごく大きいだけなのである。

ことばに関する指摘はへこむことも多いが、適切ではなかったのは使い方であって、言葉それ自体や感情ではない、と思うようにしている。使い方を間違った自分を責めることも、あまりしたくない。コミュニケーション不全は修正によって改善できる、と、私はどこかで信じている。

年末お手紙&リクエスト企画実施中です!

みなさんの私への言葉、まってます!

クリスマスネットプリントしてます

  • ローソン・ファミマ:はがき
  • ユーザー番号: AAPTQ27RQ6
  • 登録名: merikuri.jpg
  • 有効期限: 2022/12/27 16時頃
10

2022に年に何をやっていたのかTwitterなしで振り返る:前編

大体すべての記憶をツイッターに残してきたのだが、今年1つアカウントを削除し、メインのアカウントもツイートを全削除してしまったため、サイトのブログを再開した4月以前に残っているログがない。ピクシブの絵も即時に上げていなかったので、いつなんの絵を描いていたのかもわからない。

というわけで、アナログデバイス(主に手帳)とデータの保存日時を参照して2022年に何をやってのかを振り返っていこうと思う。

1月:本業の修羅場、TRPGの立ち絵に追われ始める

なんだか本業がすごく忙しかったらしい。週間スケジュールもだいぶ密に建てられており、本当にぐるぐるぐるぐる生活を回していたようだ。ノートにハマるまでは体調の悪い時だけにつけられていた3年日記に記載がないから、体調は大丈夫だったのだろう。ナポリの男たちのすぎるとhacchiのOMORI実況を本業の山場前日に見ていたようだ。

また、これまでは月に1~2回ほどしかTRPGをやっていなかったのだが、2月に4つ予定が入っており、その立ち絵を描くことにも追われていたようである。

前年12月末にipadをゲットし、正月休みにフォロワーさんのキャラ化に取り組んだ。12名のキャラ化をしたらしい。プロクリエイトが使える!!!とたいそうはしゃいだ記憶がある。当時プロクリエイトの6B鉛筆がどうしても使いたい!と思っていたのだが、結局現在使っているのはほとんどフォトショのブラシである。でも動作が軽いのでプロクリエイトは好きだ。

2月:引き続き本業の修羅場、引っ越しシーズンでお別れ会を複数開催

予定としてはゲームをたくさんやる予定だったようだ。何もクリアできてないので、多分結局あんまりゲームはできていなかったのだと思う。前半に本業の予定がみっしり書いてあり、いろいろ大変だったのだろうということがわかる。

引っ越しシーズンであり、知り合いのうちで活動拠点が離れる人々が多く、その人たちとオンライン飲み会をしていた。オンライン飲み会は家なので気楽だが、飯飲み物を自分で準備しなければいけないという頑張りポイントがある。変な方向に気合を入れ、焼き鯖寿司をにわか知識で作ってみたのだが、骨がたくさんあって食べにくいし、味がワンパターンだし、食べてる感が出すぎてオンライン飲み会に向かないメニューだということがわかった。

また、当時から凪あすイラスト本を描く予定が立っており、何日に描くのかということが簡単に記されている。凪あすイラスト本に取り掛かる日付には「イ」と書いてある(伊佐木要の「イ」だ)。同じ形式で「コ」というメモも残されているのだが、これの心当たりがなくて困っている。「コ」から始まる何かにはまっていただろうか…?コナンはきちんと履修してないし…。

と思ってウィークリーページを開いたら、どうやらピクシブ企画の「交流漫画」の「コ」だったらしい。解決。

3月:体調を崩し、ほとんど記録が残っていない

体調不良の時だけ使用されていた3年日記が3月1日から3月4日まで4日連続で使用されていた。

「つかれていていよくがでない」と記されている。本業の修羅場が終わった後、いつも燃え尽き症候群的に体調を崩してしまう。

この時は確か、腹が減らないという状態になっていた。もともと食に興味がなければよかったのだが、私はむしろ食を中心に動いており、「これが食べたい」→「食べたいものを作るにはこういう段取りが必要でこのくらいの時間がかかる」→「ではこのタスクを何時までに終わらせよう」という流れで生活しているので、食が楽しみでなくなるとすべてが立ち行かなくなってしまうという状況にいた。

おなかが減らないが食べたいものはたくさんある。でも作る気力は沸かないから外食をしていまい、結局おなかは減ってないからそんなに楽しめず、「無駄遣いをしてしまった」という自責の念だけがたまる生活だった。二度と戻りたくないと思う。

疲れているときに温泉に行ったり、ひなまつりの桜餅を有名な和菓子屋に行って買ったり、クッキーを焼いてみたりいろいろしていたらしいが、あまりどれもうまく作用しなかったような気がする。

ツイッターで嘆いていたら、フォロワーさんが慰めてくれた。「いつもずっと頑張っているから」と言ってくれていた、と思う。このころから積極的休養ばかりが思いついて消極的休養が下手になっているようだ。

4月:どうにか体調回復、嘘日記の原稿と本業山場の両輪

多分このへんあたりにみちのくコミティアの参加を決めたんじゃないか?と思う。なぜなら噓日記の原稿を4月1日から描き始めているからだ。参加を決めたのはもっと前でも、印刷所を決めて締め切りを決定したのはこのあたりだったのだと思う。

一日1枚は必須、朝と夜に分けて2枚描く計算でゴリゴリ原稿を進めていたらしい。そんなことをするな…。

またこのあたりからTRPGの回数が増え始め、以前は「月に1回あればいい方」だったのだが、「月3回が基本」くらいになってきていた。大体週に一枚立ち絵を描いていたのか…。遊ぶ機会を頂けてありがたいことである。

また、フォロワーさんの影響でマユリカというお笑いコンビの「うなげろりん!」というポッドキャストを聞き始め、そこで個人サイトのことが話題になり、個人サイトを再開するに至った。詳しくはこの記事に書いてある。

5月:発熱しながら入稿、本業の山場越え、人生で初めてブリーチをする

なんか頑張りすぎたのかゴールデンウイークに発熱した。ゴールデンウイークだったので病院がやっておらず、風邪薬を買ってずっと安静にしていた。基本的にすぐ病院に頼る人間なので、この時、人生で初めて医者にかからずに風邪を治すこととなった。医者にかかったほうが早いから私は今後も医者にかかるけれど、実際安静にしていれば治るのであれば安静にして医者に行かない人間が出るのもわかるな…と謎の理解を広げていた。

本業の山場をまた一つ越えた次の日、ふと思い立って髪をブリーチした。髪が細く痛むのが怖くてブリーチできずにいたのだが、「まあ、髪は生えるか…」という気分になってので、染めた。

ちなみにオレンジにした。あまり髪を染めるタイプではなかったので周りは驚いていた。そのたびになんか恥ずかしくなって、「黒崎一護、職業:高校生 髪:オレンジ」という文言を繰り返していた。オタクには伝わった。

同時期にお絵描き教室に通おうと思って見学に行ったのだが、なんだか心が折れて帰ってきた。

6月:みちのくコミティアに参加、再び燃え尽き症候群で体調を崩す

なにかのイベント後に体調を崩しすぎではないか?来年は山場の時に頑張りすぎないということを心掛けたい。

みちのくコミティアに参加した!詳しくはここに書いてあるが、かなり楽しく過ごした。創作に関する刺激もいっぱいもらえたし、個人サイトをやっていくぞという気持ちにもなれた。

映画もたくさん見た。「はい、泳げません」が特に面白かった。また、怪盗クイーンの劇場アニメによって再燃し、原作を再履修するという楽しみも追加された。楽しすぎて感想記事も書いた。

ちなみに、みちのくコミティアで出した嘘日記は再販中である。もしよければお願いします。

2022年上半期を振り返って

頑張るとその分体調を崩すのだな、ということがよくわかった。楽しいことをいろいろやったが、その分しっかり体調を崩していて、あまり持続可能ではないなという感覚がある。

頑張っても大丈夫な体力をつけるか、なるべく頑張らない方向で成果を上げるかというアプローチが必要になるだろう。

長くなりそうなので半分で切っておく。

年末お手紙&リクエスト企画実施中です!

一言からでもぜひお手紙ください!まってます~!

クリスマスネットプリントしてます

  • ローソン・ファミマ:はがき
  • ユーザー番号: AAPTQ27RQ6
  • 登録名: merikuri.jpg
  • 有効期限: 2022/12/27 16時頃
5