海と生魚に焦がれて深夜のスーパーで売れ残った刺身を買う

本記事は辛さを爆破する(したい)食事メニュー表 Advent Calendar 2024 参加記事です。

海なし県出身である。乾燥の地、群馬に生まれた。3歳くらいのころに新潟に海水浴に行った以外は、寄せては返す波がある砂浜の砂を24歳まで踏むことはなかった。家族旅行で中学くらいまで毎年行っていたディズニーシーの海というのが、「現実の海」のほぼすべてだった。

寿司屋に行く機会はそうそうない。が、「銀のさら」はあったので割引券が届くたびにチャンスをうかがって食べていた。桶の中に詰められている寿司を一種類ずつ食べると、「素敵なものをひとさらいできた」という気持ちになった。後々回転ずしに行くようになったとき、上限が自分で決められてしまうことに対して「これで”ひとさらい”できたのか?」と不安になるくらいには、桶の中に詰められた宅配ずしというものは私にとってほっとするものだった。

刺身を食べる機会なんか、なおさらない。ここまで書いて、全然流通が発達している現在なのだからこれは家庭の献立方針であって海なし県であることとは関係ないのではないか?という疑念がよぎったが、少なくとも群馬にいたとき、私は「海なし県民である」という自覚を強く持って、そしてそのうえで、けやきウォーク(地方ショッピングモール)に行くたびに四六という海鮮問屋のメニューを嘗めまわすように見るくらいには生魚に焦がれていた。

進学を期に海あり県へと引っ越した。自分の食べ物は自分で買うようになった。スーパーは地元に比べて肉コーナーが小さい気がしたが、冷凍されていないいろいろな魚が並んでいた。「めぬけ」とか「なめた」とか、聞いたことのない魚も並んでいた。

そして何より刺身コーナーである。色とりどりの刺身がそこには並んでいた。冬にはぶりがおいしいのだということや、真鯛はさっぱりしているのだということなどを、ここで知った。

仕送りから食費をやりくりして、自分の好きなものが食べられる。そしてここは海あり県。私はいつでも刺身が食べられるようになった。

学生の頃所属していたサークルは、17-21時が活動時間だった。夕飯は終了後食べるのが基本スタイルであった。

当時住んでいたマンションは大学から自転車で30分かかった。家の近所に小規模だが夜遅くまでやっているスーパーがあって、へとへとになりながら自転車を止め、どこかけだるい空気のスーパーで、取り残された刺身をじっとりと眺めることが多かった。

この時間に残っているのは、びんちょうまぐろ、ねぎとろ丼のもと、かつお、そして、サーモンだった。大体サクも切り落としもどっちもあった。一通り食べて、かつおとまぐろは売れ残りのものは結構厳しい味がした。大体どの時間帯もうまいのはサーモンだと知った。これは単純に私がサーモン好きなだけなのかもしれないが。

最初は切り落としを買っていたけれど、値段を見るようになってからはサクのほうがお得な感じがした。連日の深夜飯で外食も増え、食費もかさみ、でも21:30以降にチャリで帰宅後に自炊をする元気もなかった。

ビッグマックより安いサーモンの塊を買って、ラップを外してそのまま醤油をぶっかけて、切るのも面倒くさくてかぶりついた。サーモン、というか刺身は、サイズや薄さなどによって生じる食感も大事なのだということをこの時知った。でも味自体は大好きで、憧れたサーモンの味がして、おいしいといまいちを同じ量だけ味わった。

そういう時期を繰り返していたころがあった。そのころ、しょうゆの匂いを嗅ぐと落ち着く人間になっていた。

23:00のサーモンと醤油は繰り返し私を救ってくれた。そして今でもたいてい、スーパーの刺身コーナーで私を待っていてくれる。嫌になった私はそれに手を伸ばして、好きな味が微妙な食感で口に飛び込むのを体験するのだ。

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