小説を書いた:思い出話と参考書籍・ツールなど

小説を書いた。まとまった長さの、オリジナルの小説を。

小説を書くキャラクターの登場率が高いはやみねかおる作品を読んで育ったからか、まあ単純に小説を読むのが好きだったからか、私には何となく、「自分は”小説を書く”側の人間である」という謎の自覚があった。今は書いていないけれど、おもしろいかどうかはわからないけれど、きっといつか、自分には、”きちんと”小説を書くときが来るのだ、と信じて疑っていなかった。

しかしそんな自覚が芽生えてから早十数年。中学生の時に原稿用紙に手書きでラノベの新人賞に送った以外で、私はほとんど小説を書くことがなかった。

だんだん、「私は書く側の人間である」という自覚が、「私は”書きたかった”人間なのかもしれない」という予感に代わっていった。最近になって短い二次創作の小説を書くことはあったが、それとこれとはまた別で、なにも借りずに自分を丸裸にして挑むことは、もうないのかもしれない、とすら思うようになった。

そんな「やらない後悔」がずっと私にへばりついており、どうにも嫌になったので、思春期を超えて人格がある程度形成されきった段階では初めて、1万字以上を目標に書いてみることにした。本記事はその思い出話である。

最初に結果として出来た作品の概要を示しておく。タイトルは「何もなかった転ばぬ先で」。総文字数は約1.5万字となった。演劇部の公演終了後の打ち上げで退部宣言をした主演の静馬謙という男と、舞台監督の及川勝という男が仙台市国分町の店で問答をする、というのが主な内容だ。冒頭何ページかはboothでDLして読める。

もう、書くのが大変だった。小説を書くという作業を通して嫌というほど突き付けられたのは、「自分は、”何かがかきたい”とぼんやり思うだけの、何も書きたいことがない人間なのだ」ということである。

キャラクターが思いついたから、シチュエーションが思いついたから、テーマを胸に抱いたから、書き始めたのではない。ただ、「なんとなく小説が書きたい」から、書き始めたのだ。もうほんとに、これには苦労した。何のポリシーも主義主張もない、大したことのない人間なのだという事実と、常に向き合って書くこととなった。

最初に述べたように、私は小説はほとんど書かない。絵は物心ついたときからずっと描いていたので、多少、他者から見て魅力的かどうかは別として、自分が描いていると楽しいタッチ・色というものを胸に抱くことができている。しかし、書いてこなかった小説ではそうもいかない。何を書いていると自分が楽しいのかなんてさっぱりわからない。正直楽しいと感じることよりも「これで”書いてる”ってことになってるのか?」という感覚が常に勝っている。youtubeの動画をみながら筋トレダンスをやっているような感覚が似ていると思う。「これで鍛えられているのか?」「この動きであっているのか?」という感覚が、常に付きまとう。

そして、小説は意志がなければ完成しない。登場人物をどう動かすのか?何をさせるのか?何を話させるのか?何を思わせるのか…?これはすべて創造主である私の思いのままだ。となると常に、「お前はどうしたいんだ」と問われ続ける状況になる。私の意志が続けるのをやめれば、小説はそこで終わる。これは書き終わる、という意味ではなく、未完となって処分される。そんな状態を完成するまで続けなくてはならない。絵であれば、何となく好きな色を置いてみたり、線を引いてみたり、加工をしてみたりということができる。それはこれまで私がずっと絵を描いてきたからだ。特段明確な意思を持たずとも、その時の感覚やこれまでやってきた勘のようなもので絵を完成までもっていってしまうこともある(むしろそれがほとんどだ)。それができない小説で、「私はどうしたいのか」という問いと向き合い続けた。結果、出る答えなんて「どうもしたくない、登場人物たちに私はそこまで思い入れがない。しかし小説は書き終わりたい」という、愚鈍な回答だった。

常に自分が情けなかった。これまで脚本術などの本を読んできたから、失敗を避ける方法はよくわかっている。プロットをきちんと丁寧に立てること、キャラクターの信念をある程度掘り下げること……。頭ではわかっている。頭ではわかっているのだ。しかし、プロットなんて退屈で立てていられないし、キャラクターのことを考えると頭がこんがらがってくる。結局行き当たりばったりで書いてみて、退屈な展開になって没にする。初心者がやりがちな失敗はすべてやったと思う。そのくらい、これまでやってこなかった分野の前では私は無力だった。

情けない、どうしようもない。しかし私にとって、これは非常に幸福な時間だった。

私はこれまで、ずっとずっとずっと、小さいころからやってきて体に馴染んでいることしかやってこなかった(自動車免許取得以外で)。それ以外のことに特に興味が向くことがなかったし、興味が向かないのにやってみるなんてことをしたら失敗するのが目に見えているから、挑戦してみることがなかったのだ。

よくわかっていた。そこまできちんとした熱意の向けられないものをやってみようと願うと、失敗して惨めな思いをするということを。

しかし、そうやって失敗の予感を察知し避け続けてきた結果、「失敗をしない人間」のようになってしまった。私はただ臆病だから失敗ができないのに、スマートな印象を持たれることもあった。

そのたびに、そのたびに、みじめな姿をさらして自分に幻滅したい、という強い欲求に胸を穿たれていた。しなければならない、という使命感さえあった。

厄介なのが、自分自身ですら、自分は失敗しないスマートな人間なのではないか、と勘違いしてしまうところだ。挑戦がなければ失敗をせず、挑戦をしなければならない頼まれごとをすべて断っているだけなのに、自分の人生は順調で、それは自分が優れているからだ、と思い違いをしてしまう。

思い違いだと、思おうとすることはできる。しかし、失敗をしないから、まさに自分が惨めだ、という状況になることがない。

みじめな姿をさらしたい、しかし失敗するのは怖い。

けれど、このままどんどん自分の実態と自己評価が乖離していくのはもっと恐ろしい。いつか、予期せぬ失敗をしてしまった時、自分は『山月記』の虎になって、二度と人里に戻れなくなるのではないか、という奇妙な予感がここ数年、確信のような形で私の中にあった。

きっと、その予感に耐えがたくなったというのも、小説を書くことにした理由の一つなのだと思う。

小説を書き始めた私は、前述のような惨めさを痛感することになる。自分がうっすら見下していた人間、「自分には何かがある」と確信しながら、その実何もできていない人間というのは他でもない、まさに自分自身なのだと理解させられる毎日だった。

その事実は痛く、悲しい。情けないし、自分に失望する。

しかしこの時間こそ、私が求めていたものでもあるのだ。

パソコンの前で文字を打ち続ける、という、行動としてはひどく小規模なものであるが、部屋の中で一人、私はほぼ初めての「挫折」を行っていた。

これが挫折、これが自信の喪失、自らの情けなさを見るということ、自分が恥ずかしくなってしまうということ。それらに泣きたい気持ちになりながら、一方で興奮さえしていた。これが等身大になることなのだ、と、自らを取り戻せたような感覚になった。

自己評価と実態の乖離が、初めての挫折によって解消されていく。私にとって今回の執筆作業は、そのような意味を持っていた。

参考にした本や使ったもの、執筆の手順なども記録代わりに書いていこうと思う。

参考書籍

めんどくさがりなきみのための文章教室

まず、小説の書き方本を読んだ。これまでいくつか読んだことがあるが、今回新しく読んだのはこれである。理由は、好きな作家だから、という以外に特にない。小説の筆記法(?のあとは一マス空けるなど)が参考になった。

感情類語辞典

辞典部分より最初の説明?のところを結構ちゃんと読んだ。人間の動作と感情のの関係の多層さを意識することが重要であると感じられた。

【電子書籍版】二次創作者のための物語以前の小説技法

キャラクターを何とかして作った後はこの本の手法に沿って話を組み立てようとした時もあった。いくつかのハウツー本を読んで出てきた手法を片っ端から試してみることで、絵でいう「とりあえず線を引いてみる」ということができたように感じる。

これまでに読んだことがあるもの↓

買ったけど読んでないもの、気になっているもの↓

ツール

Visual Studio Code+プラグイン「Novel Writer」

wordでの執筆がかしこまりすぎている気がしてどうにもしっくりこず、執筆ツールを探していたところnijimiss(misskey二次元好きサーバー)で小説を書いて活動していらっしゃる方があげていたこちらのツールを使用した。プラグインを活用することで縦書きプレビューをしながら文字を打つことができる。青空文庫記法で傍点やルビも記入可能。また、プレビューは横スクロールなので、基本的に常に前の文章をみながら執筆できる(wordだとページが新しくなると前のページの文章はいちいち戻らないと見えないので…)。

TATEditor

VScodeで作成したテキストデータを流しいれ、マークアップ形式を「青空文庫記法」にすることで傍点などがきちんと反映される。縦書きの組版が可能。一部の文字を大きくするといった機能は多分ないので、本文内容の整形にのみ使用できる。

VScodeで書くだけ書いて、TATEditorで整形してPDF印刷して読み直し、伏線を取捨選択したり誤字を観なおしたりなどということを行っていた。

書いていく過程

設定を考え、とりあえず思いついたことをすべてノートに書いていた。

こんな感じで何でもかんでも思いついたことを書いていた。架空の県を作って「地元」というモチーフで最初書こうと思っていたのだが、全く違う話になった。

ここから出来事を決めていって、失敗して、上記の本を読んで手法を試してみて、失敗して、五回くらい話を没にしたあたりで方向性が決まり、書き始めた。

基本VScodeに打ち続け、適宜印刷して読み直した。感情を直接的に描くことへの照れだけは一人前なので、本当に最初はもう、ただにおわせているだけ、のような小説であった(完全に解消されているとはいいがたいが)。

におわせはにおわせとして受け入れ、すべてのにおわせに線を引いて最後すべてのにおわせの種明かしをする、という形で話を締めくくった。一度におわせ描写をするだけした後、「これオチをどうするんだ?」と不安になり、全没にしようかファンタジーの世界に飛ばそうかといろいろ悩んだが、以下の記事を読んで腹をくくり、これまでの複線の種明かしを実直に行うだけ、というオチにした。

人に読んでもらう

不特定多数に公開する前に人に読んでどうだったか聞きたい!しかし知人は恥ずかしくてつらい!!!ということで、添削サービスを使って感想を書いていただいた。

これは使おうと思った順序が逆というか特殊で、上記の葛藤を抱えていたころにTwitterでフォローしていたやまおり亭さまが依頼を受け付け始め、ではこれに応募することを目標に書き終わろう!と考えた、という順序である。

やまおり亭さまの作品はピクトスクエアのウェブイベント「#創作BLオンリー関係性自論2」をきっかけに作品を読んでファンになり、どのような文章を書く方なのかは大体わかっていて、好きな文章を書く方に依頼して読んでもらおう、と応募した形になる。こういうサービスを野良で探す方法などは残念ながら提示できない。

やまおり亭さまの作品はこちら。ごはんがおいしそうだし男性同士が感情のやり取りをしていてうまみたっぷりの小説です。

添削あり、PDFをグーグルドライブで共有という形で依頼して、丁寧な感想をいただけた。拙い部分が多いだろうにかなりほめて伸ばす方向でコメントをくださり、大変勇気づけられた。

そんなこんなで、小説を書いてみたよ、という話でした。オリジナルって骨が折れるし苦しいが、また書いてみたいと思う。

書いた小説は、5/27(土)開催予定のみちのくCOMITIA10~創作旅行~仙台出張で頒布予定です。漫画・小説・ネップリ再録のひとり雑誌という形で頒布します。

表紙はこんな感じ。

ちなみに、前回のみちのくCOMITIAで売り子をしてくれたイトコ(31)に雑誌を読ませたところ、漫画は好評だったが、小説に関するコメントは「静馬って名前が、いいね!」のみだった。きっとそんな感じの拙さなのだと思う。

しかしまあ、私にとっては大きい一歩なので、読んでいただけたら幸いです。最後にサンプルPDFを再掲しておくので、よかったら読んでみてください。

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