毛むくじゃらの指でスマホをタップする。

複数アカウントをもつことが、いつから当たり前になったのだろうか。

或る時のTwitterには、「規制」というものがあった。いわゆる「ツイ廃」と呼ばれる人たちが、一定時間に大量にツイートしすぎたせいで、一時的にツイートできなくなることだ。

複数アカウントというものは、そんなとき、すなわち、規制されてもまだつぶやいていたいときのために作られたのが始まりだったように感じる。

いつしか、用途別にTwitterアカウントを使い分けるというスタイルが浸透し始めて、もはや複数アカウントを持っていないひとのほうが珍しくなった。様々なツイートは今や表示数すらも意識せざるを得ない状態になり、数を打つものではなくなったので、「規制用アカウント」なんてものは見なくなった。

リプツリーでつなげるなんてことも、前はなかった。漫画はピクシブやほかのサイトに飛ぶものだった。もしくは、twipicに上げられていた。リプツリーが出始めたあたりに、そのツリーの縦棒をアイコン内に組み込んで、ペアアイコン風にしていた人たちのことを、私はまだ覚えている。

たくさんのbotもほとんどなくなっていった。なりきりアカウントも。「おはよう」とつぶやけば好きなキャラクターから「おはよう」とリプライが来ていたことがあったのだ。柳レンジでチンbotが時刻を知らせていたことを覚えている人はどのくらいいるのだろう。

一人一人にコンテンツが必要になった。このアカウントはどういうアカウントなのか、ということを示す必要性が上がっていった。「その人」目当てでなく、「その人が出すコンテンツ」目当てでフォローする人が増えて、ジャンル移動で大量にリムーブされる流れというのも、実は最初から顕在化していたことではないのだ。

連携アプリも、whotwiくらいしか知らなかった。誰がどういう人をフォローしているのか、どういうツイッタラーなのか、そういうことを調べるものしかなかった。

ツイッタラーという言葉も最近のものだ。

フォローやRT、いいねも審査してから行うものになった。既読いいねの通知がめちゃめちゃ来ることなんてなくなった。実はいいね(当時はふぁぼ)は、はじめはそのツイートの時系列順に並んでおり、いいね順には見られなかったのだ。

Twitterは変わっていくし、私も変わっていった。

自分で情報を調べなくなった。人が見て面白かったというものばかり観たり読んだりしている。話題にならなければ自分のところに流れてこないので、触れることがない。そんな様子になってしまった。本屋にもしばらく行っていない。

待ってれば流れてくる情報を口を開けて吸い取っているだけのインターネットモンスター。そんな人たちにうまくヒットするべくアカウントを分けたりなんだりしていた人たちが凍結されて行っている。

別に昔が居心地最高だったわけではないけれど、自分がどんどん怠惰なインターネットモンスターになっていくことには気づいてきている。

私の指先から、けもののにおいがしてくる。

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