週報230726-230730

有言実行をすることには定評があるのでちゃんとブログを書く。とりあえず風呂の後に毎日ストレッチをした。最初はyoutubeの動画をみながらやろうと思っていたが、最近何の行動をするにもラジオかゲーム実況の音が必要な人間になってしまっているのでずいぶん昔に親がくれたストレッチ本を見ながらストレッチをした。まだまだ全然効果が出ていないが、ストレッチをした後の体が温まっている間だけは前屈で指のさきっちょが床につくようになった。肩が硬いのも気になっているので、kindleunlimitedで読めるストレッチ本を見ながらタオルを使って行う肩ストレッチも行っている。これは日中の作業中も休憩のたびにやるようにしているが、なんだか毎回肩が痛いので悲しくなってくる。でも肩こりを感じなくなってきたような気がする。また、休憩のたびにやると血が巡るのですこしだけ(本当に少しの間だけ)目が覚める。

ストレッチバンドはきつすぎるのであんまり行ってない。フォームローラーもなんだかかったるいのでたまにしかやらない。筋膜リリースで効いている感じはあまりしないというのも理由の一つだ。

週報終わり。以下は日記だ。

今日こそは元気に漫画を描こうと思っていたのに、全く違う一日になっていた。まず朝起きられない。今日は選挙の日だったのでどうにか起きて投票所へ行った。投票所の紙の書き心地が好きだという話題を投票期間にツイッターでよく見るけれど、私はなんかキュッキュッと音が鳴るような気がしてあまり好きではない。今回の投票所は小学校だった。小学校って小さいころ見ていた時はすごく大きく思われたが、大人になるとなんだか小さく感じる。それを共に投票に来た同居人に言ったら、向こうは逆に今のほうが大きく見えると言っていた。

帰り道に見かけたハンバーガー屋に吸い込まれてハンバーガーを食べる。アボカドモッツァレラバーガーを頼んだ。普段食べられないアボカド+モッツァレラの二つが入っているのでこういうものを頼みがちである。すごくおいしかった。フライドポテトは今まで食べた中でトップクラスにおいしかった。お客さんはたくさんいたのに店長一人だけがキッチンスタッフで、なんだか大変そうだった。しかし店長こだわりの味が売り文句の店なので、店長以外が調理するわけにはいかないのだろうか。夜は夜で別のメニューをやっているらしい。すごく何もかもが嫌なときに行きたい。

帰っても非常に眠かった。多分暑さにやられていたのだと思う。しばらく寝て、どうにもならないので風呂に入ってもやっぱり眠くて、再び寝入ってしまった。夜眠れるのかはなはだ疑問だ。麦茶ばかり飲んでいたのがよくなかったのだろうかと慌てて塩分タブレットを食べたけれど、頭の中の霞が晴れることはなかった。

何度も寝たらさすがにすっきりしたのか18時ごろに目が覚めた。ここまで投票に行く以外なんにもしていなくて本当に嫌になった。夕飯の時間なので野菜を適当に切って解凍してあった肉とコンソメと水をラクラクッカーに入れて蒸した。めんどくさくなるといつもこういう調理をする。野菜を一気に使いきれていい。

だんだん元気が出てきたので企画の漫画の作業に取り組み始めた。漫画を描くときはいつもセリフから考える。クリップスタジオEXのテキストエディタ機能でずっとセリフを入れて、何となくの勘でページごとにセリフを区切る。描きたいセリフを全部入れたら27ページ分になった。こんなに描けるのか…?今回はなるべく自分のキャラクターがたくさん話すようにした。会話を漫画で描くときに、主で話す人が生まれてしまうのだが、それを自分のキャラクターにするのが苦手で私の漫画では無口になりがちだ。でもこれだと自分のキャラクターの考えが他者に共有されたという事実が発生しないので、モノローグなどで読み手にキャラの人格が伝わっても他者のキャラクターには伝わっていることにならない。今回はそれを打破しようと、いろいろな人に自分の想いを伝えさせようとしている。頑張りたい。頑張りたい。

今は描くべき漫画が27ページになってしまったという事実に打ちのめされているところだ。本当は作画作業にまで入りたかったが、ぐっと億劫になってしまったので明日以降に回そうと思う。

結局ネットプリント作業ができていない。月刊にとんぜぽだったのに~~~~。

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2023/07/29

昨日までめっちゃ漫画描く気満々だったのだが今日起きたらうまくアイデアがまとまってなくてまだ漫画に着手できてない。いろいろ描きたいものはあるのだけれど、「これは描けておいたほうがいい」というのと「こういうのどうかな!?」と思いついていくものの選別が難しい。企画漫画は人との会話を主に描くのだけれど、会話したい人がいても会話のきっかけがつかめなかったりして、ぐるぐるぐるぐる考えて、結局書かないまま今日が終わった。

何とも眠くてすっきりしなかったところに、知り合いから昼食の誘いがあったので向かうことにした。場所はチェーンの中華料理屋で、チャーハンとミニラーメンと餃子を食べた。結構な量だ。結構な量だけど、私はちょうど食欲が爆発する時期だし、ここで簡単に済ませてしまうと後でマクドナルドのポテナゲを買って帰りかねないから一度のご飯をたくさん食べるようにしている。食欲爆発期はもう、マックのポテナゲをいかに避けて通るかというゲームなのだ。そうこう頑張っても結局二週に一回くらいは食べてしまうのだが。

結局、人と話しても気分が変わったりすることなく、何となく全員胡乱な調子で解散した。我々は基本的に胡乱に集まり胡乱に解散する団体なので、特に今回が悪いとかいいとかいうことはない。帰り道、無意味に書店に寄って文具コーナーをじっとりと眺めていた。気分を変えたいとき、最近は文具を買っていた。しかし買い続けて文具環境が整ってきてしまっているので、もう私に帰る文具はなかなかなかった。少なくとも、道具としては。

帰宅して風呂を沸かして、待っている間頭痛薬を飲んで動画をみていた。バーチャルおばあちゃんのジャッジアイズ実況を最近は見ている。バーチャルおばあちゃんはたくさん歌を歌うし話がすぐ横道に逸れるし声真似をやりまくるので、内容を知っているゲームを見ていても飽きずに見続けることができる。バーチャルおばあちゃんの、様々なことを軽んじて馬鹿にしているようでいて、視聴者が送ってきた作品とかは決して馬鹿にしないで大事にしているところが好きだ。結局、生身の人間相手にはリスペクトをもって接しているんだろうなと思って見ている。”令和のインターネット”ではほとんど市民権を失うような発言が多いけれど、あの場所では見落とされていることをバーチャルおばあちゃんはきちんとわきまえているような気がする。

風呂から上がったら飯の時間になっていたので、鶏肉を焼いた。最近皮をぱりぱりにして中まで火が通っている鶏肉が焼けるようになった。動画をみて練習したのだ。結局、弱火でじっくり焼いた後焼き目をつけるのがいいのだそうだ。じゃがいもとキノコも一緒に焼いて、それをもきゅもきゅと食べた。おいしかった。ローズマリーがなくなったから買わなくてはならない。

帰宅時はもう一カ月くらい絵を描かずにいようかというくらい気分が沈んでいたのだが、風呂に入って飯も食って気分が変わったのか、机に向かうことができた。うちトコイベントの時にもらったエアスケブリクエストを描けていないことがずっと頭に残っていたので、最初にもらったリクエストのイラストを描いた。当初正方形のイラスト本を簡単に作ろうとしていて、イベントの展示のイラストも正方形で描いていたので、エアスケブのイラストも正方形で書くことにした。正方形で描くとなると、そこそこ大きく顔を描こうとすると全身を描くのは難しい。バストアップを描くのは苦手だったのだが、ポージングを気をつけて挑戦してみた。今日見かけたアニメ私塾のツイートに「シルエットで見てもわかりやすいポーズを心掛けよう」みたいなことが書かれていて、なるべくそれを意識した。よくあるポーズになってしまったけど致し方ない。動きはあるんじゃないだろうか。絵の中でキャラクターは缶を持っているのだが、手を描くのが最近上手になったような気がする。爪の位置を意識しているからだろうか?

次にリクエストされた絵に取り掛かっていたらipadの充電が切れそうだったので途中でやめにした。自由帳を開いてみたが今のところかけていない。鉛筆で描くというのはなかなか難しい。さっぱり何も思いつかないし。

明日こそ漫画がかけているといい。もう少しきれいな漫画が描きたいのだ。

この日記はフォローしている人がRTしたこの動画をみて書きました。

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体の支配権を取り戻す

身体を柔らかくしたい。

3歳から11歳くらいまでバレエをやっていて、その頃も一番古株のくせに一番体が硬かったのだが、もう、それよりもさらに体が硬い。ずんぐりむっくりしているから痩せたいと鳴いてからろくに運動が続けられていないのだが、それ以前になんか体が硬いのがいろいろな不調につながっているような気がしてならない。

長座をしたらもちろん骨盤は立たないし、開脚は鋭角だし、肩の柔軟性も無くなっていて、上下で背中の後ろから手をつなぐやつ(?)もできなくなっていた。

姿勢も悪いしあちこち身体は痛いし体は冷え気味だし、本当にまずい。

と思うので毎日ストレッチがしたいのだが、こんなことを考えるのは別に今更のことではない。すなわち、ストレッチをしても全然続かないのである。

理由としては断トツで、効果を感じにくい、というものだと思う。全然体が柔らかくなっている気がしない。ネットでさらっと調べた限り効果が出るのは2,3カ月後だそうだ。そんな~~~。

やるときはyoutubeで10分ストレッチと謳っているものをやっているのだが、どの部位も割とさらっと終わってしまうというか、このストレッチがどの程度結果にコミットしているのか見当がつかないという理由もある。でも痛気持ちいいくらいにはちゃんと伸ばしてるんだから続けさえすれば効果が出るのか?ぐぬ~難しいぜ。

最近というか、ここ数年、じりじりと少しずつ、体の支配権を失っているような感覚がある。作業中本当に気が付いたら寝てしまっているし、いつの間にか布団に入ってしまって午前を消滅してしまっている。別の魂魄が私の身体に入って何かを成し遂げてくれているならばいいのだが、あたりを見るにその様子はない。活動時間が15時間あるとして、そのうちの5時間、すなわち1/3は私の預かり知らぬところで消費されている気がする。

支配権が奪われているさなかのことはおぼろげに覚えていて、もうとにかく頭がぼんやりしていたり、「この時間を何とかやり過ごしたい」「時がただ過ぎていってほしい」という思考になったりする。今の時間を受け入れられないのだ。流れゆく時間の渦中に自分の身体できちんと立つ、という覚悟が削り取られて行っている。毎日毎日、とにかく早く今日が終わればいい、早く眠りたい、という思考で埋め尽くされていく。ラジオやyoutubeを流して、何かを観たり聞いたりしていることにして、それで何かが償えるような気がして、ただただ時間を消費している。

自分の身体を自発的に動かすということは、支配権を取り戻す働きかけだと思う。自我を取り戻して、取り返して、自分として時を過ごしたい。本当にそれを切に願う。

いくら達成されるかわからないが、ひとまず目標を以下に記す。

  • 風呂を沸かしている時間で筋トレ(きんにくんの筋トレ一個)
  • 風呂から上がった後にフォームローラー・ストレッチバンド
  • 一週間ごとにブログで報告(ハビットトラッカーを作って頻度を確認)
  • ひとまず9/30まで続ける

というわけで、多分日曜に更新します。頑張ります…。

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現実を生きる覚悟を決めること—映画「君たちはどう生きるか」感想—

「君たちはどう生きるか」を観てきた。

病院の火事により母親を失った少年眞人が戦禍を避けるため東京を離れ、母親の実家のような田舎の広々とした家で暮らし始めるところから話が始まる。

駅を降りたら母親とそっくりな女性が迎えに来る。何かと思えばそれは母親の妹で、しかも眞人の新しい母親になるのだという(義母=叔母のお腹にはすでに子供がいる)。新しい学校にはなじめず初日から喧嘩をするなど、眞人の前には受け入れがたい現実が広がっている。

そんな少年がひょんなことから異世界へ行き帰ってくる過程で現実を受容するという、言ってしまえば「よくある夏映画」だと感じた。その中で好きだったところの感想を述べていく。

この映画はきちんと「夏映画」で、現実を受容するという目標がかなり達成されているように感じた。私が言う「夏映画」とは、おおよそ夏に公開され、普段自分が住んでいるところと違う世界へ行き、そこで現実に帰りたいという思いが芽生え、現実を受容する体験をするというものである。「親の帰省映画」もこれに含まれる。なにも全くの異世界じゃなくとも、子供にとって都会⇔田舎の行き来はかなりの異世界だからだ。

さて、そんな「異世界」において、多くの作品では現実に結びつかない人間と手を取り合って冒険したり、困難を乗り越えたりすることが多いだろう。サマーウォーズでは主人公を応援するのは住み込み先の大家族だし、千と千尋では湯屋の人々と協力することになる。しかし今回では、主人公眞人と手を取り合う仲間の中に、若い姿のキリコ(お手伝いのおばあさん)や、死んでしまった母親が含まれている。かなり現実に近いところでの夢想の異世界となっているのだ。

印象的だったのはキリコの部屋の机の下で眞人が寝ているシーンで、寝ている眞人の周りにキリコ以外のお手伝いのおばあさんを模した人形が配置されている。キリコはそれを「あんたを守っているんだよ」と述べる。冒頭のシーンで眞人の父親の荷物をあさるおばあさんたちはかなりいやらしく描かれていたがしかし、年少者の眞人を守ろうという意思はあることは、頭をけがした眞人をかいがいしく世話する姿からも描写されている。現実では、眞人はほとんどおばあさんたちを受容する様子がなかったが、ここで一段、眞人は受容の段階を踏むのである。

眞人が異世界に入り込んだ理由は、義母であるなつこさんを探し出すためだ。しかしそれは表向きの事情であることはアオサギのセリフからも描写されている。眞人は現実から逃げ出したい思いがあった。だがおそらく、彼は他者の傷つく姿をみたいわけではなかったのだろう。なつこは父親の想い人であるから、なつこと一緒に帰らないといけない、少なくとも、なつこだけでも返さなくてはならないという思いがあった。その点が産屋のシーンへとつながると私は考えている。産屋に入った眞人は、なつこに声を掛ける。ここで眞人は初めてなつこからの拒絶を受ける。これを契機として、眞人はなつこを「お母さん」と呼び始める。眞人は拒絶されたことで何を得たのか、それは、自身がなつこを傷つけていたという事実であり、対等な人間として扱われた瞬間であったり、眞人をどうしても無事に現実へ返したいというなつこの思いだったりしたのだろう。

私がこの映画を観て一番感心したのは、クライマックスシーンの積み木を積むか積まないか、帰るか帰らないかという問答で、「あの悪意まみれの世界に戻るのか」と問われた眞人が「友達を作ります」と明言したことである。

「友達を作ります」という宣言は、私の観てきた映画の中ではほぼなかったものである。しかしこれこそ、異世界から帰る子供に必要な覚悟ではないだろうか。

異世界は何のためにあるのか、夢想は何のためにあるのか、物語は何のためにあるのか。それらはすべて、現実を生きるためにあると私は思っている。異世界では友達がいるから現実で孤独でもいいのではない。異世界で友達を作れたのだから、現実でも人と意思の疎通ができるようになっているはずなのだ。異世界から帰るために眞人が下した決断が、「友達を作ること」であるのならば、いや、だからこそ、眞人は異世界に行ったかいがあり、正しく帰ってこられるのではないだろうか。

物語の祈りを借りて、私たちは現実を生きていく。彼らが向かう異世界は、現実ではありえないことが起こる。非常に物分かりのいい年長者や、美しい世界、恐ろしいがどこかとぼけている敵。現実とは違うこういう状況の中で、彼らは自身の姿を確認する。なつこを傷つけていたこと、おばあさんたちが自分を守ってくれていること、自分のことを知ってもらえないまま、母親が死んでしまったのが悲しかったこと。

そこから帰ってくるために、彼らに必要なのは異世界での思い出ではない。現実を生きるという覚悟なのである。

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結局誰も見ていない絵しか

ろくに絵を描いていないときに限って、絵の話がしたくなる。今がそうだ。

自分の絵について、自分が思っていることをまとめておきたい、示しておきたい、という感情がある。しかしそれはまとめられることなくここまで来た。それは必然的に傲慢な語り口になるし、排他的になるし、敵意がまろびでることもあるからだ。