結局誰も見ていない絵しか

ろくに絵を描いていないときに限って、絵の話がしたくなる。今がそうだ。

自分の絵について、自分が思っていることをまとめておきたい、示しておきたい、という感情がある。しかしそれはまとめられることなくここまで来た。それは必然的に傲慢な語り口になるし、排他的になるし、敵意がまろびでることもあるからだ。

私が見るのはAIの絵でも描かれた絵でもよくて、その向こうの

インターネットを回遊してるとめちゃくちゃめちゃくちゃAIの話が出てきて、同居人がめちゃくちゃめちゃくちゃchatGPTとか画像生成にハマっているのでちょっとそれと関連して考えた絵の話をする。

画像生成はこういうのがよくないとか描き手の権利がとかは正直まったく興味ないのでその辺の話はしません。AI絵の批判でもないけど賛美でもないです。AIの話はきっかけであって肝ではないです。

絵を描くこと、何かを出力するとはどういうことか、私はそれらのアウトプットのどこに興味を持ってみているかみたいなことを考えたという話です。

寂しくないインターネットを探し求めて一人会議

「寂しくなりたくない」と「今後どうしていきたいか」という思いは、たまに衝突する。

SNSをどう使っていこうか、ということを最近ずっと考えている。あと、今後どのように作品を作っていきたいか、ということを。本記事はそれの思考整理のような内容である。