結局絵が描けるようになった

インターネットお絵かきマンでなくてもいい、なんて言ったけれど、二週間くらいしたら結局絵が描けるようになった。ちゃんと数えたら12日くらいしか絵を描いてない期間はなかったらしい。しかも、結局何を描いたって、TRPGの立ち絵と、大好きなゲームキャラクターだ。両方ともツイッターに上げた。なんとなく元に戻ったのだと思う。

絵が描けなかったときのことを書き残しておこうと思う。

とにかく人間を描きたくないという気持ちが強くあった。ポップにディフォルメされた、嘘日記に出てくるようなキャラクターも描きたくなかった。キャッチーにすることは欺瞞のように感じられた。「わたし」というものが絵に出てしまうことがひどくおそろしく感じたし、このような形を人間と認識する、このような形をかわいいと認識する、ということを表明するのが気持ち悪かった。ペンが重い、ということは本当に感じられるのだ、と知った。自分の一筆一筆が欺瞞に満ちているように感じ、オリジナリティすらないひどい偏見を出力するのが気持ち悪く、絵を描くのが怖かった。

TRPGをやるときは必ず自分のキャラクターの立ち絵を用意していたのだが、初めて、立ち絵なしでセッションを迎えた。締め切りがあったとしても絵を描けなかった。

こんな状態を抜け出せたきっかけも、結局絵であった。

ある日、CoCTRPGを一緒にやる方たちが、すでに立ち絵があるキャラクターの新規絵を、描き下ろしていた。その二人があまりにかわいくて、単純に元気が出た。いとしいと思ったし、このキャラクターの隣に自分のキャラクターも並べたいと思った。それがきっかけで一枚、絵が描けた。

それから、絵に元気をもらう回路のようなものが再び開き始め、他の人の絵をみて楽しい気持ちになることができた。わたしもこんな感じに絵が描きたい、という絵を見つけられると、自然と筆が取れるようになった。

やっぱり人間がイラストになった形ってかわいいし、自分のキャラクター、ちょぶくんもかわいい。いいじゃないか!と、そんな気持ちになれた。

今後の課題は、自分の娯楽の少なさだ。絵が描けないと全体的にぐったりするようでは、あまりよろしくない。他にも楽しめる娯楽を身に着けて、絵が描けなくなっても日々がそれなりに楽しくなるように工夫していきたい。

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インターネットお絵かきマンでなくてもいいか

冗談抜きでここ十年くらい、わたしのSNS生活の根幹となっていたのは「インターネットお絵かきマンでいたい」という感覚である。

絵を見てもらいたい、自分の絵の魅力を知ってもらいたい、という感覚が、ずっとずっとあった。しかし、ここ2週間、そんな感覚がしゅるしゅると自分から失われていくのを感じている。

年に2,3回やって来るSNS疲れの波がやって来た時、ふとツイッターのアカウントを消してみた。消して不都合が起きるようなアカウントでは、全ツイートを削除してみた。このときの感覚が、これまで同じようなことをしたときの感覚と、かなり種類が異なるものであったのだ。

以前は、もっといい絵を描いて自己を更新していこう、というものだった。もっといい絵、というのは、これまでの自分の系統を引き継いだ、さらに成熟したもの、という意味だ。

しかし、今回は違った。その時から少なくともこれを書いている今は、しばらくこういう自分の絵から離れたい、という気分になっていたのだ。

同時期に、抱えて数年になる悪い思い出がわきだしてきて精神的にかなり落ち込み、それをどうにかするべく小説を書いてみた。トラブルがあった相手について書いたほぼエッセイのようなものであり、とても作品と呼べる代物ではない。しかし、これまで作ってきたどんな作品よりも、自分の中に発見があるものだった。

詳細は省くが、この、ほぼエッセイのような恨み言のような書き散らしを生み出すことで、わたしは自身の欲望を理解した。そうしてようやっと、その欲望がかなわないものであることを実感し、抱えていた問題を大事にすることを辞められたのである。

ここで、わたしの創作に関する姿勢が、目的が、「自分を知ること」という方向へシフトしていった。

今まで絵を描いているとき、なぜ絵を描いているのか、何を伝えたくて絵を描いているのか、まったく考えてこなかった。ひまつぶしのうちの一つとして、これで人と繋がれるならもうけもん、という感覚だった。

しかし、それでは自己の認識は更新されない。なにも込めてないからである。込めるつもりで描いてきていなかった。それが楽しい時期があって、それはこれからも来るかもしれない、しかし今は、何かを込めずキャッチーに仕立てる絵を描きたいわけではない。

そんな気分で描いたのが、本日創作サイトの方で更新した絵である。自分の心に浮かんだ景色を、資料を参照することなくそのまま描いてみた。それは車の後部座席右側の席から見た窓の向こうの景色であった。わたしはよく、そこにのせられて、喉が渇くからと水筒を持たされて、ぼんやりと窓の外を見ていた。

パッと見てなんとなくわかるが、とてもツイッターにのせる絵ではない、人に伝えるための工夫が一切ない。ただぐちゃぐちゃに描いただけである。これはインターネットお絵かきマンの絵ではない。

だが、わたしはこの絵が奇妙に好きだ。自分のあがきを感じる。最近少し始めたデッサンもそうだ。自分がいかに物を見るのが苦手で退屈かを表しており、とてもいとおしい。

しばらくは、こういう絵を描いてみたい。それはインターネットお絵かきマンではないかもしれないけれど、インターネットお絵かきマンでなくてもいいか、と、今は思えているから。

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みちのくコミティア8ありがとうございました。

みちのくCOMITIA8~創作旅行~に出ました。
初めてのサークル参加でしたが、準備段階から様々なサイトを参考にしたり、イベント参加経験者の方々にお話を聞きに行ったりして、 どうにか無事に始まり、無事に終わることができました。
入稿をした5月に本業の大きめの締め切りを二個抱えてたりなど、色々大変なことはあったのですが、今回は、 「よく創作意欲が戻ったもんだなあ」という話をしたいと思います。

2014年に作ったこのサイトの更新が止まった2015年から2019年9月まで、ほんとに少ししか絵を描いていませんでした。 絵以外のことが忙しかったり、また特に確固たる目標もなかったりで、締め切りがなければ何も描かないような日々でした。
2019年あたりからあるジャンルにはまり始め、ファンアートを描くという形で創作意欲が戻りました。2015年以前はすこし版権を描くものの、 基本的には創作中心に活動していました。ですが、自分の中で生まれるものは何もなく、描きたいものもなく、創作は描かなくなりました。 メインの画材だった水彩絵の具も、出し入れが面倒でほとんど開けていません。
一応オリジナルと名乗ってもよさそうなものとして、フォロワーさんの「キャラ化」をやっていました。人の出した情報(ツイートや作品など) からイメージを膨らませてキャラクターデザインをするという取り組みはかなり好きで、今でも期限を決めずに募集しているくらいです。 しかし、それもフォロワーさんが出す情報あってこそのもので、自分でゼロから考えるというのはやはり難しいままでした。

転機、というか、創作もしてみようかな、と思うある種のきっかけのようなものが、2021年の春にありました。
お題箱に、「透明なビニール手袋をした女の子をお願いします」というお題が送られたのです。
しばらくオリジナルは描いていなかったし、過去に作ったオリジナルキャラクターも、もう一度描きたいとは思えない。 どうしようどうしようと思いながらも、どうにか描いた作品です。
自分にしてはかなり完成像が見えてからかけた作品で、今まで描いたことないものが描けたな、という感覚がありました。

また、2021年の梅雨頃に自分のキャラクターができたのも大きかったなと思います。 これは、フォロワーさんからイメージをもらって自分の代理キャラクターを作る、という企画をしたときのものです。 だいぶ前の企画で、一度キャラクターは作ったのですが、あまりしっくりこなくて描きなおしたものです。 今見ると嘘日記に比べてだいぶ細いですね。眉毛もあるし。
自分を美化するでもなく、逆に無個性にしすぎるでもなく表せるものを手に入れたのは、だいぶ収穫だったなと思います。

また、絵を描くことを習慣にしよう、と2021年の夏ごろに思い始めて、絵日記を付け始めました。 「ぼくのなつやすみ」のボクくんが描く伸びやかな絵日記が大好きで、ウォーミングアップとして絵日記を描いて、 そしてあったまったところで絵を描き始める、という取り組みをしていました。
はじめは上々だったのですが、二か月足らずで自分の日々の平坦さに気が付いてしまいました。 もともと変化が嫌いなので生活リズムから何から規則的になるように努めており、 そんな人間の日々は安定しているが管理され切った、イレギュラーが起きないつまらないものでした。 ずっとこの平坦な日々のことを描くのは苦しい。でも想定外のことが起こるのは怖いから、実際に体験する日々はこのままがいい。 でも、本当の日々を描けば描くほど今後の自分への人生の漠然とした絶望感が強くなる。そんな状況がすべて嫌になって描いたのが、 嘘日記「なんでもない日々」の一ページ目になります。

一ページ目の嘘日記の後ろには、今まで描いた本当の日記を載せています。うっかり個人情報が書いてあったら怖いので あまり読まないでほしいのですが、そのようなんにもなかった日々の上に、嘘日記はあるのです。

「特徴的な絵柄」と言ってもらえることが多いのに、オリジナルの作品が作れないことがややコンプレックスでした。 創作を中心に活動されているフォロワーさんが、私の創作がみたいと言ってくれたこと、別ジャンルで知り合ったフォロワーさんが、 ラフ交換でオリジナルをやりたいと言ってくれたこと、嘘日記を描いたら、「本当の日記はプライバシーの問題があるので本にできないけど、 嘘日記はたまれば本にできますよ」と言ってくれたことが、今回の本・シール・コピー本作成、イベント参加につながりました。 本当にありがとうございました。
今後の目標として、「ちゃんとした絵」を月に2回は描きたいな、と思っています。基本的にすべての絵を一日で完成させていて、 時間をおいて修正するなどといった、「丁寧に制作する」ということから逃げていました。版権創作問わず、 そういうことに意識を向けて描いていきたいと思っています。
イベント参加は、早くても来年以降になると思います。また新しく記事を書きますが、今回のコミティアで 、自身の創作漫画のシリーズが3巻以上続いているサークルさんが少なくなかったことにすごく衝撃を受けました。 自分のシリーズがあること、それを続けられること、シリーズでなくても、複数の作品を描いていること、本当に素晴らしいと思いました。 自分もイベントごとに新刊を出して、複数の頒布物が並べられるようになりたい!と思いました。
ひとまず、通販作業に集中しようと思います。
改めまして、イベント参加を応援してくださった方、スペースに来てくださった方、誠にありがとうございました。

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黒歴史を作る

お笑いコンビ「マユリカ」の「うなげろりん!!」というポッドキャストを聴き始めた。ある回で、ツッコミの中谷さんが十代くらいにやっていた個人サイトが掘り返されるという回があった。aboutからBBSから、個人サイト自体特有のノリが今再び衆目にさらされていた。中谷さんは恥ずかしそうでもあったが、楽しそうでもあった。あとから検索してみたら中谷さんの絵がうますぎてビビった。

小5からamebaでブログをやっていた人間であるから、あのノリはすごくよくわかるものであったし、思い返すとイタイものではあるかもしれないけど、「楽しかった」という感情がサイトの中に残っているのはいいことだと思った。

amebaブログもFC2ブログもはてなブログも消してしまったので、掘り返すべき黒歴史がないことがなんとなくさみしくなったところで、 8年前に作ったらしいこのサイトの存在を思い出した。過去絵が結構残っててびっくりした。 ボカロ曲の挿絵を3枚描いていたのだな…ということも思い出した。どれも大好きな曲だ。 当時はニコニコ動画のサムネになることが絵描きとして一番の誉れだと思っていた。 今だったらたぶんyoutubeのサムネを描きたがっていたと思う。イラストレーターになりたいとは思っていなかったが、 ボカロ曲のサムネをいっぱい描いているインターネットお絵かきマンにはなりたかった。依頼をもらっているというのがかなり羨ましかった。

2016年以降しばらく絵を描かなかった。というか、2016年ぐらいにはもう消耗気味だった。 最近また絵を描くようになったのだが、ツイッターで「絵を描く」ということの情勢がかなり変わっていた。 「絵があると嬉しい」のではなく、「どの絵を選ぼうか」という姿勢に、見る側も描く側も変わっていた。 空中リプライという使い方が発生し、RT後コメントが生まれ、ふぁぼの☆はいいねの♡に変わり、非公式RTは引用RTになった。 広まることが目的の候補に追加され、中でもRTは重要視されている。既読ふぁぼもないと不安になるようになってしまった。

それに対する感情は特にない。私は流されやすいので、需要のある絵を描きたいと思う。 バズったことは一度もないが、バズりたいという感情はある。この「バズる」ということばも、RADIOFISHの「PERFECT HUMAN」 が流行った時に使われるようになったはずだ。おなじツイッターというサービスなのに、なんだかすごく変わっていて不思議だ。 ピクシブで初出の作品を出す人もかなり減ったのではないかと思う。ついぴくろぐという言葉も生まれ始めたところを見ていた。

こういう、どこにも需要がない話を延々としていきたいと思う。文章を打つのがすごく苦手だから、拙いところが多い。 こういう部分も含めて黒歴史である。2024年にサイト十周年を迎えるので、それまでは少なくとも続けたい。

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