あの時そこにいなかった私の話

本記事は、新海誠「すずめの戸締り」を観た、私の鑑賞体験の話である。これは「私の」鑑賞体験の話であり、それは同じ作品を見ていたとしても、だれとも共有されないし、共有できないものである。本記事を読む、ということは、以上のことをご理解いただけたということとする。

誰も求めていなかった姿で帰ってきたあなたへ|TOA感想

私、ずっと思っていましたの

アッシュがキムラスカに戻ってきて、ルークと二人でお父様を支えてくださればいいのにと

でも私は間違っていたのですね。あなたとアッシュにはそれぞれの生きる道があった

それを私が、無効となった約束で縛り付けていたのですわ

今あなたの中にはアッシュがいる。以前の私なら、あなたとアッシュを混同していたかもしれません

でも、あなたはあなたですものね

ですから、あなたはあなたの思うままに生きてください

 

ゲーム「テイルズオブジアビス」より ナタリアのセリフ

初めに

本記事は、ゲーム「テイルズオブジアビス」のエンディングを中心とした内容に触れた感想記事である。書かれた内容は筆者のプレイ体験・視聴体験の記述であり、他者のそれを肯定・否定するものではありません。

筆者プレイ歴など

2011年に3DSリマスター版を購入後、かなり緩やかにプレイをして2019年に1週目クリア。2週目プレイ中。2022年12月実況者の動画をエンディングまで視聴。触れたことのあるテイルズシリーズは「テイルズオブジアビス」「テイルズオブバーサス」そしてアニメ版「テイルズオブシンフォニア」のみ。「テイルズオブジアビス」に関するコンテンツの知識はゲーム本編のみである。

表記

本記事では、キャラクター名を以下のように表記する。

  • オリジナルルーク:アッシュ
  • レプリカルーク:ルーク
  • ED後ムービーで現れた赤髪の青年:”ルーク”

感想

生まれてきてしまったことを認めるRPG

ジアビスの公称ジャンル名は「生まれた意味を知るRPG」である(テイルズチャンネル+より)。

レプリカとして生まれたルークは、自身の生まれた意味を探そうとする。しかし、旅を通してわかるのは、「自分は誰にも求められていない」ということばかりだ。だが、これには語弊がある。少なくとも、旅をしているときには、ルークに慕わしい気持ちを抱いている仲間たちがいる。しかし、それはルークの「生きる意味」にはなるかもしれないが、「生まれた意味」ではない。ルークの誕生に直接的に関与している人間は仲間たちの中にはいないし、直接的に関与している人間はルークを利用しようとしている。社会制度も整っておらず、レプリカの社会的地位は曖昧だ。ルークは記憶喪失状態のアッシュとしてたまたま育てられていたから、その流れで侯爵家に住まいを持っている。しかしそれは、もとをただしていけばいくほど、仮のものでしかないのである。

そんな旅を通して、ルークが、私が知るのは、「生まれたことに意味なんかない」ということ、そして、「結果として今生きてしまっているのだから、死ぬまでは生きていくしかない」ということだ。

ジアビスの一貫した姿勢として、「起きてしまったことは受け入れていくしかない」というものがある。生きるために人を殺してしまったこと、アグゼリュスを崩落させてしまったこと、ある人間の立場を奪ってしまったこと、自国の繁栄のために島を見放したこと……このような大事件を起こしてしまったこと、起こさせてしまったことを、登場人物たちは物語を通して何とか受け入れ、先に進んでいく。そして物語の終盤で、旅の終わりで、ルークは「生まれてきてしまったこと」を認めるのだ。

ED後ムービーの赤髪の青年

ラストのムービーの最後、仲間たちの前に赤髪の青年が現れる。ティアは彼を一度、「ルーク」と呼ぶ。“ルーク”は、アッシュに似た声色と口調で、ルークの記憶をもって話し出す。筆者は、この“ルーク”を、アッシュの体に、ルークの記憶が入った状態の人間だと解釈する。

“ルーク”は、ルークでもアッシュでもない。だが、全く新しい人間でもない。彼は、ナタリアと昔話をすることも、ティアとタタル渓谷での思い出を話すこともできるだろう。しかし、その場面場面でアッシュやルークに切り替わるわけではない。“ルーク”は“ルーク”として話すことしかできないのだ。

この状態を、少なくとも私は求めていなかった。アッシュだけ戻ってくるか、ルークだけ戻ってくるか、一番いいのは、ルークとアッシュが別々の人間として戻ってくることを、そしてそれぞれがそれぞれの道を歩んでいくことを求めていた。

彼のこのような姿を、求めていた人はそういないのではないだろうか。しかし私は、ここに、テイルズオブジアビスの根幹があるような気がしているのである。

物語に突きつけられた問い

“ルーク”は、ほとんどだれもが求めていない姿で帰ってきた。ナタリアやガイだけでなく、今度はティアたちも、相手の面影に誰かを重ねてしまう現象と向き合うことになるだろう。記憶を持っている分、全く別の人間として「初めまして」をするわけにもいかない。彼らは0ではないが1でもない状態から、“ルーク”と関係を作っていかなければならないのである。

そう、むしろ、課題を与えられているのは“ルーク”ではなく、彼を目の前にした登場人物、そして、私のほうなのだ。ルークに、「生きていていいんだよ」「生きていてほしいよ」といった私は、あの時簡単に言えていた、「生まれてくるのに意味なんかないんだから、どんな形でだって君のことが好きだよ」という思いを、もう一度持てるのかどうかを問われている。レプリカだったとしても、これまでに築き上げてきた関係があるじゃないか、と、もっともらしくガイやティアに同調していた私に、もう一度、「本当に?」と問いかけているのである。

これまで築き上げてきた関係の記憶はある、記憶だけがある、そんな状態の“ルーク”と、あなたはどう関わりますか?

テイルズオブジアビスは、そのような問いかけを私に突き付けてきた。

誰も求めていなかった姿で帰ってきたあなたへ

生まれてきたことに意味なんかない。生まれてきてしまったことを認めて、自分の意志で進むしかない。大切なのは自分がどうしたいかで、それを死んでしまうまでは続けていくしかないのである。

旅を終えた記憶を持つ“ルーク”はそれをきちんとわかっている。ラストムービーの彼は非常に安定した状態で、みんなと向き合っている。彼はもう答えを見つけている。そんな“ルーク”を私が受け入れることで、ルークの見つけた答えは証明され、物語は、旅は、終わるのである。

誰も求めていなかった姿で帰ってきたあなたへ

会えてよかった。とっても嬉しい。

あなたが、あなたの思うままに生きられることを、願っています。

これから、よろしくね。

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隔たりの向こう側へ足をのばして―ka(2022)「君(たち)になる」のともした希望―

ka(2022)「君(たち)になる」を読んだ。

白い髪・白い衣服で羽の生えている「クピド」が、黒い髪・黒い衣服で角の生えている「ダモン」の生きている世界である地獄へ遊びに行ったり、逆にクピドの生きている世界に招いたりした日のことが描かれている。

違うこと 同じこと

この物語は、違う、ということと、同じ、ということ、それらが、わかる、ということについての物語だ、と私は感じた。

天使の世界は「同じ」であることが前提である。あたたかく、溶け合う世界。
悪魔の世界は「違う」ということが前提である。つめたく、溶けずに粒が残って踊る世界。

違う、ということが前提の世界にいるダモンは、クピドと自分が違う、ということがわかっている。
だからこそ、クピドの言葉を「不思議だ」と思い受け取ることができる。

クピドが、そんな地獄と、ダモンと話すのと同じ心持ちでネレイドについて語ると、友達の反応がどうもぎこちない。
クピドの友達は「同じ」が前提であるから、なぜ自分と違うことを言うのかがわからないのだ。

この漫画では一貫して、隔たりを感じた瞬間に、その当人の表情がすぅっと美しくなるように感じる。

クピドの発言に違和感を持った友達の表情も、それにこたえるクピドの表情も、少し整う。隔たりは、相手へ未知を感じることになり、それは少し恐ろしいことでもあるけど、そんなときの相手は、そんな時だからかもしれないが——少し美しい。
草原でクピドがダモンに語り掛ける姿も、美しい。「自分たちは分かり合えっこない」「同じになれっこない」と悟った者の表情である。

それを、ダモンが崩す。他者から人為的に笑顔になるように表情筋を動かされれば、それは少し不格好になる。

私たちは分かり合えはしない。同じになりきることはできない。しかし、「私たちは同じではない」と知ること、それを伝え合うことで、私たちの境界は少し、ほんの少し溶け合うことができる。少し交わった私たちは不格好である。しかし、その不格好さは隔たりの美しさを超えた先にあるものなのである。

ラストシーン、クピドがひときわ美しい表情になるのは、ネレイドが友達によって解剖されてしまったことを知るときである。
クピドはネレイドをただ観察したかっただけで、腹を開きたいわけではなかったのかもしれない。それに、友達も同様にかわいがっていたはずだ、どうして、このようなことをするのか。クピドは、友達との隔たりを感じ、その美しい目を見開く。

クピドが問うと、友達は、クピドのことがわかりたかったのだ、と答える。ここで、友達はクピドが自分と「違う」ということを知ったのだということがわかる。そして、クピドも知ることになる。自分と友達は「違う」のだということを。

クピドは不格好な笑顔を浮かべる。自分たちは「違う」のだとわかったから、すこし、その隔たりを超えて、不格好な姿を見せることができるのだ。

なんでか嬉しかったけど
なんでなのかは わからなかった

クピドは、ダモンと自分が「違う」ことがわかったこと、そして、それをダモンもわかっていることが嬉しかったのではないだろうか。
だからラスト、友達と自分が「違う」と分かり合えたとき、温かい笑顔を浮かべたのではないだろうか。

違うことを知ることで、同じになれる

自分たちは違う個体なのだ、ということを、私はしばしば忘れてしまう。異なる意見を言われた時、非常に驚き、動揺し、心を閉ざしてしまうことがある。隔たりを感じる。こんなことがなければいいのに、と思う。しかし、その隔たりを理解したからこそ、私たちはその隔たりを超え、境界を少し溶け合わせ、「あなた(たち)になる」「私(たち)になる」ことができるのである。この物語は、別離も同化も、地獄も天国も、天使と悪魔も、どれをも称揚しない。それぞれが「違う」からだ。そして、読んだ私たちは、それぞれが自分と「違う」ことを知り、少しだけ、それぞれに「なる」ことができる。私たちがあなた(たち)になれるのは、私とあなたたちが、違う、から、に他ならないのだ、ということを知る。

分かり合う、とはなんだろうか。価値観のすり合わせ、とは、なんだろうか。それはお互いの主張を知り、根拠を知り、歩み寄ることだけだろうか。
違うことをしり、同化できないことを知り、それでも、お互いの足で立って、立っているお互いを見つめることが、できるのかもしれない。

隔たりの先の相手は美しく、恐ろしい。しかし、その先の不格好な姿を、愛することができるのかもしれない。

愛はただ、
愛するものを養いまもる

私たちの中に、お互いへの愛があれば、隔たりの向こう側の相手に、少し、触れられるのかもしれない。そんな希望が、この漫画にはともされている。

次ページ、考えの整理のためのあらすじ書き出し。

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「十年後に盗みだす」わたしたちへのエール―怪盗クイーン初期3巻における運命―

※2022/7/12 誤字修正・加筆

はじめに

本記事は、はやみねかおるによる『怪盗クイーンはサーカスがお好き』『怪盗クイーンの優雅な休暇』『怪盗クイーンと魔窟王の対決』の3作品において、「運命」、及びそれと向き合う「怪盗クイーン」がどのように描かれているか、筆者の所感を述べるものである。なお、筆者は10年以上前に何度か今回取り扱う作品を通読しているが、今回の記事はそれ以来ぶりに一度ずつ通読した程度のものであるため、内容の厳密性はご容赦いただきたい。また、以下『『怪盗クイーンはサーカスがお好き』『怪盗クイーンの優雅な休暇』『怪盗クイーンと魔窟王の対決』をそれぞれ「サーカスがお好き」「優雅な休日」「魔窟王の対決」と表記する。

本記事における「運命」

日本国語大辞典によると、「運命」は以下のような意味である。

うん‐めい 【運命】
人間の意志を越えて、幸福や不幸、喜びや悲しみをもたらす超越的な力。また、その善悪吉凶の現象。巡り合わせ。運。命運。転じて、幸運、寿命、今後の成り行き。

『日本国語大辞典 第二版』小学館 
japan knowledge(https://japanknowledge.com/lib/display/?lid=200200767c20yKAn5LWW)より。

本記事では、運命について述べる際、基本的にはこの記述に従い、異なる場合は注釈をつける。

「サーカスがお好き」における運命

キンドルで簡単に検索したところ、「サーカスがお好き」には「運命」という語は使用されていない。しかし、クイーンの台詞に以下のようなものがある。

「中国の兵法書に、つぎのようなことばがあります。」

ホワイトフェイスの前に座っているクイーンがいう。

「『勝利は、戦うまえに、すべて、すでに決定されている』――公演がはじまるまえに、すでにゲームの勝敗はついていたんです。」

はやみねかおる(2013)『怪盗クイーンはサーカスがお好き』講談社青い鳥文庫,kindle版270ページ

このクイーンの台詞は、「運命」に近いものを述べていると考えられる。このとき、運命、すなわち人知の及ばぬ力の働く対象はクイーンとホワイトフェイスである。クイーンは本人そのものが人並み外れた能力を持っており、ホワイトフェイスが運営するセブン・リング・サーカスは政府組織とつながりがある。「サーカスがお好き」における「運命」は、特別な存在に関わるものであり、政府組織という特異な存在であるセブン・リング・サーカスに取り巻く非情な運命を、人並み外れた能力を持つ怪盗クイーンが一時的にキャンセルする(盗む)物語となっている。

「優雅な休暇」における運命

「優雅な休暇」から、本格的に「運命」という語が使用され始める。

わたくしは、今まで自分の運命からにげていました。だから、いつのまにか竜が、心の中で大きくなっていったのです。もう、わたくしは、にげません。にげたくありません!

はやみねかおる(2013)『怪盗クイーンの優雅な休暇』講談社青い鳥文庫,kindle版363ページ

「もし、ほんとうに自分の運命を切りひらいて生きていきたいのなら、あなたは本物の雷管をぬく。でも、竜の意志のほうが強かったら、あなたはにせの雷管を抜く。」

はやみねかおる(2013)『怪盗クイーンの優雅な休暇』講談社青い鳥文庫,kindle版363ページ

このとき、運命の対象者はイルマ姫である。イルマ姫はその身分から、将来王女になることが決定されている。幼少期は違和感なくそれを受け入れていたが、段々と受け入れがたくなり、イルマ姫は自分の運命を拒絶するがゆえに自身を亡き者にしようとするもう一つの人格を作り出してしまう。しかし、イルマ姫は最後には自身の運命を受け入れ、国に戻る。「優雅な休暇」におけるクイーンの出演シーンは多く、活躍もしているが、この運命に関してはクイーンは第三者となり、ラスト、彼女が国に無事に宝石とともにかえるための手続きのお手伝いをするという形でしか参加しない。ここから、「運命」の対象者が、一段階、読者である「我々」に近くなる。運命はクイーンだけでなく、シャンデリアに登ったら転げ落ちてしまうような女の子にも働くものなのである、と提示されている。

「魔窟王の対決」における運命と意思

「魔窟王の対決」は、運命が主題の一つと言ってもいいだろう。「サーカスがお好き」では0件、「優雅な休暇」では5件であった「運命」という語は、「魔窟王の対決」では11件使用されている。また、「運命」に強く関わると考えられる「意思(意志)」という語も、「サーカスがお好き」では1件、「優雅な休暇」では2件のところ、「魔窟王の対決」では27件使用されている。

「説明するのは、なかなかむずかしいですね。ただ、はっきりいえるのは、怪盗の美学を実践することが、私の運命だということです。」

「運命ですか――。」

王嘉楽が、からになったグラスにブランデーをそそぐ。そして、またきいた。

「あなたは運命論者ですか?」

「いいえ、私は神も仏も信じてません。運命などという言葉で、かんたんに未来をうけいれようとは思いません。わたしの行動を決定できるのは、わたしの意思だけです。」

はやみねかおる(2013)『怪盗クイーンと魔窟王の対決』講談社青い鳥文庫 kindle版114ページ

ここで、怪盗クイーンにとっての「運命」が定義づけられる。クイーンにとって「運命」とはドラマチックな言葉、であり、何をも超越した抗いがたい力ではない。怪盗クイーンは自分の意思で、自分の運命を「怪盗の美学を実践すること」と位置付けることができる、可変なものとしている。

また、「魔窟王の対決」では、怪盗クイーンの獲物として、「運命」を象徴する「半月石」が提示される。半月石の主である王は、また、それを取り巻く人々は、「半月石の力で王はこの立場におり、四龍島ができている」と信じている。ここで「信じている」と記述するのは、「魔窟王の対決」において明確に半月石の力があるのかないのかが描かれていないからである。しかし、少なくとも、「魔窟王の対決」の登場人物の多くは、四龍島の住民は、半月石を知り、半月石の力を信じている。

半月石を知ってから、クイーンを含む登場人物は「今行っていることは自分の意思によるものだろうか?」と疑い始める。すべては半月石の目的に沿った行動なのではないか、という思考が、ふとした時によぎる。

運命の対象者は、「魔窟王の対決」において、読者の「われわれ」のような、一般市民にまで広がるのである。

気に入らねえな……。

ヴォルフは、つばを吐いた。

もちろん、王は気に入らないやつだ。しかし、それ以上に、島の人間の方が気に入らなかった。

島の人間の目――暗く、よどんだ目。人生を楽しむことをわすれ、生かされているだけの者の目。

はやみねかおる(2013)『怪盗クイーンと魔窟王の対決』講談社青い鳥文庫 kindle版130ページ

「四龍島城砦から、でたいの?」

龍狼の質問に、小牙はうなずいた。

「だって――。」

そういう小牙の目は、さっきまでとはちがう。暗くよどんだ光をはなっている。

「ここにいても、未来はないもん……。」

はやみねかおる(2013)『怪盗クイーンと魔窟王の対決』講談社青い鳥文庫 kindle版176ページ

運命の力を感じた一般市民の反応は「無気力」であった。自分ではどうしようもできない。今後の運命は決まっている。島の人間の目からは、そのような「あきらめ」が読み取れる。また、青い鳥文庫の対象年齢である小学生ほどの少年、小牙の描写を見ても、このような「運命」を感じることが、読者にもあるであろう、ということが提示されていると考えられる。

どのような家に生まれたか、どのような地域に生まれたか、どのような学校に入ったか、それで、自分の今後が決定されているように感じること、そして、それはきっと、このまま自分が変わらなければ、想像通りに展開されるであろう、という瞬間は、しばしばあるだろう。それは、自分の力ではどうにも変えがたいように思われ、その強大な力は、「運命の力」と言ってもいいほどであるときさえある。

そのような「運命」を感じさせる存在が、「魔窟王の対決」では半月石という形で描かれている。

しかし、繰り返し述べるように、「半月石」(すなわち、運命)の力は、明確には描かれていない。「王は半月石のおかげで出世したのだ」とも、「半月石の力は本当にあった」とも、書かれていないのである。

「じゃあ、クイーンさんが弾丸をぬかなかったら……。」

「わたしは死んでただろうね。わたしが助かったのは、半月石の力じゃない。つまり、まだ、半月石は、怪盗に盗まれることを望んでないということだよ。」

はやみねかおる(2013)『怪盗クイーンと魔窟王の対決』講談社青い鳥文庫 kindle版281ページ

王の撃った銃が不発だったのは、クイーンが弾丸を抜いていたからである。では、なぜ、王は負けを認め老いてしまったのか。

ここに、「魔窟王の対決」における、「運命」に関するメッセージが込められていると考えられる。

王は、「クイーンに自分が負ける」という運命を、信じてしまったのである。運命を信じるということは、変えがたい力を感じるということで、すなわちそれに降参することにつながる。王も四龍島の住民と同じく、「生かされているだけ」の存在となってしまった。

運命は、信じた瞬間に効力を発する。そんなものは本当にはないのか、気づいてないだけで本当にはあるのか、実際のところは分からない。

しかし、信じてしまったら、そして、あきらめてしまったら、運命は、運命となり、その力を自分に行使する。

それを変えるのは何か?クイーンの、小牙の、折れた刀でガラスをぶちやぶったジョーカーの、そしてわたしたちの、「意思」である。

小牙の境遇は物語を通して決して変化はしていない。しかし、小牙の意思は変化した。

「十年たったら、自分の力で盗みだします。」

はやみねかおる(2013)『怪盗クイーンと魔窟王の対決』講談社青い鳥文庫 kindle版281ページ

小牙は、「いま」は、クイーンのように半月石を盗み出すことも、その上で捨てることもできない。しかし、十年たったら、と小牙は言った。

この言葉は、小牙の年齢から、読者へ向けられたものととらえられるだろう。

クイーンは、運命を信じないことができる。運命を盗み出し、その上で捨てることもできる。

しかし、読者である我々は、半月石の存在を常日頃感じてしまっているし、時には信じてしまいそうなときもある。いままさに、「親に本を読めと言われたから」、四龍島の住民のような目をして怪盗クイーンシリーズを読んでいるかもしれない。

しかし、「魔窟王の対決」を読んだ読者は、小牙とともに、大事なことを知った。

十年後、自分の力で盗み出す。赤い夢の住人であるならば、きっとそれができる。そのようなエールが、「魔窟王の対決」には込められているのである。

終わりに

本記事では、怪盗クイーンシリーズ初期3巻における「運命」、そしてそれと向き合う怪盗クイーンがどのように描かれているかについて述べた。「サーカスがお好き」では「運命」はクイーンやセブン・リング・サーカスのような特別な存在に働き、超越者であるクイーンはその運命をひと時盗むという形でかかわる。「優雅な休暇」では「運命」は能力的には一般的な人間と言ってもいいイルマ姫を対象として、クイーンは彼女が運命をうけいれるための手続きを手伝う第三者として描かれる。「魔窟王の対決」では、「運命」は信じた瞬間から効力を発するが、意思の力で変えることができるもの、そしてクイーンは明確な意思を持ち運命を拒絶する者として描かれ、クイーンとはことなる一般市民である小牙の運命が小さく変化する所まで描かれている。

日々の行動で自分の生活は作られる。そして、日々の行動を選択するのは自分の意思である。運命を信じ、意思を持つことが無駄に思えたとき、半月石の存在を感じ、その効力を信じてしまったとき、我々は四龍島の住民となる。クイーン一味が自分の意思を疑う瞬間があったように、そのような瞬間は、だれにでも―クイーンにでさえ―おとずれる。その時に思い出せるように、そして前に進めるように、そのような祈りが、特に「魔窟王の対決」に込められているように感じた。

読んでいただきありがとうございます。もしよろしければweb拍手を送ってくださるとうれしいです。

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みちのくコミティア8読んだもの感想

前記事に引き続き、みちのくコミティアの話。

即売会に足を運ぶこと自体4,5年ぶりで不安もありましたが、とても楽しかったです。

デザインフェスタには何度か行ったことありますが、コミティアははじめて。

いろんな方がそれぞれの物語を制作しているのがとても刺激になりました。

今回は参加した感想を若干と、読んだものを記録したいと思います。

自分が出したもの

  • 嘘日記『なんにもない日々』
  • コピー本『あったりなかったり』
  • シール『ちょぶくんシール』

初めて印刷所に頼んで制作した嘘日記、余部が結構来て不安でしたが、手に取ってもらえてうれしかったです。店番は私と売り子のイトコ(31)の二人で交代制だったのですが、イトコ(31)曰く「見本誌スペースで読んで面白かったから来たって人いたよ」とのことでした。誠にありがとうございます。うれしい!

イラスト集はコピー本で作成しました。材料を自分のためにメモしておきます。

  • 本文:コクヨ インクジェットプリンタ両面印刷用 マット紙 B5 厚さ0.15
  • 表紙:コクヨ インクジェットプリンタ両面印刷用 マット紙 B5 厚さ0.23
  • 表紙の上:クラシコ トレーシングペーパー イエロー B4 厚さは忘れた

トレペをかぶせる案はこのツイートから考えました。大変助かりました…。

意外と枚数が足りなくてコピー本はすこししか刷れませんでした。完売ありがとうございました。

シールはまだあるので次回か、通販に回したいと思います。

読んだもの感想

スペース番号・サークル名・買ったもの・感想を記載します。

B2:SKELLIG

イラスト集『Greetings from the Bay』

ケーキ屋さんの絵と、さびれたベランダから海を見ている絵が好きでした。空や海の光方が素敵。実際にある場所をモチーフにして異物(いたかもしれなかった生物)を入れる絵のコンセプトが好きでした。

B13:浮き球

新刊セット:『海岸線』『黒い雪』「シール」

フリーペーパー

出掛けた時の思い出を描いているというコンセプトがとても好きでした。小さいお社にお賽銭あげている絵がかわいくて好き。ジェノベーゼ大好きなのでフリーペーパーで紹介されていたお店に絶対行きたいです。

D1.2:魔界食堂

フリーペーパー『FREETER AND DEVILS’ INTRODUCTION』

漫画『フリーターと悪魔。 よもやま3』

WORKING,月刊少女野崎君など、四コマ漫画が大好きなので、こちらもとても面白かった!1,2巻がなかったのですが、続き物ではないので途中から読めますよと言っていただいたので、3巻を購入しました。途中から読んでもわからないところがなかったし、フリーペーパーで登場人物紹介とあらすじがあったので、ストレスフリーで読めました。ななきゅうちゃん、かわいい…。

3巻はフリーターさんがずっと掃除をしていくお話なのですが、登場人物がみんな一定以上の思いやりがあり、誰にも過剰な負荷がかかっていないバランスがとても読みやすかったです。続きも楽しみです。

D11:「小さなひしゃく」亭

漫画『さんがつのコースメニュー』

制作されているシリーズから一話ずつピックアップして収録されたもの。

はじめましてのサークルさんでこういった本があると本当にありがたい…!!

登場人物それぞれの心のつかえに関わる物語が収録されているなと感じました。簡単に解決するわけではないけど、少し上向きになったり、周りのあたたかい視線が描かれたりする雰囲気がとても好きでした。

「かくも幽玄な日常・その後:まだ、揺れている。」と、「早乙女のバイト:肩の荷預かります」が好きでした。

D21:地を遊ぐさかな

フリーペーパー『青の春』

フリーペーパー『ミニチュアガーデン』

小説+イラストのフリーペーパー二種。サイトで連載中の二つの物語「十三月の春」と「ミニチュアガーデン」のショートショートを挿絵入りで収録したものと思われます。

いくつかの物語を制作している場合は、このようにどのような物語かが分かるようなペーパーがあるととてもありがたい…!ペーパー自体にサークル・サイト・作者の記載がなかったので、名詞もらってきてよかった~となりました。

特に、ミニチュアガーデン面白そう…!と思いました。サイト巡ろう~!

E4:ためめも

漫画「Single action」

四枚目のスケブのイラストに惹かれて漫画を購入しました。オールバックの方の顔の造詣がとても好き。おじさまの表情にこだわりを感じてとても素敵です。

E10:NOAH

フリーペーパー

新聞風なの、とてもかっこいい!神の質感もとても好きでした。サイトや連絡先、次回出展予定なども書いてあり、これから追いかけやすく、ありがたいです。

次回作の構想が書いてあるの、とてもわくわくして、自分もがんばろう、と思えました。スペースでもお話を聞かせていただき、とても楽しかったです。

E15:奥羽天極

フリーペーパー『庄内の笹巻(白)』

めちゃくちゃ絵柄が好き…!

歴史がすごく苦手なのですが改善を試みることに決めました。

F1/2:ひのまる航空/#ひつじです

『ひつじとりっぷ 横浜 個展号外2.5』

本当の旅行ガイドみたいになっていてとってもかわいい!ひつじちゃんの立体もとても好き…!

横浜は幼少期に行ったのが一回、新橋で降りるはずのところをぼんやりしていてたどり着いてしまったのが一回なので、また行きたい。

G3:なかよし/はんぶんこ

うちゅうの よい子シール

本当にかわいい。運動した日はカレンダーにシールを貼っているので、かわいいシールに出会えて幸運でした。名前も可愛いし

H22:屋上パンダ

写真集『公園遊具 vol.8』

写真集『屋上遊園地 vol.5』

写真集『銭湯 風呂屋』

風景全体のきれいさよりも、人工物そのものや、人工物の重なりをみるのが好きだな~と最近自分でぼんやり思っていたのですが、そんな自分にめちゃくちゃ効く写真集でした。

全国各地を撮っているらしく、地元の県の話題を振ったらすらすらとどんな公園があるか話してくださって、とても楽しかったです。いつか地元県の載ってる巻も買いたい。

こんな感じで、サークル参加者としても買い手としてもとても楽しんだ一日でした。

また、イトコ(31)がビンゴで一等をあててくれたので、打ち上げ用のお酒が調達できたのもありがたかったです。

改めましてありがとうございました!

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